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久しぶりに

40年ぶりの同窓会がありました。極端なタイムトラベル・・・顔を見ても「だれ?」でした。
そのうちに住所でもわかったら、ブログの存在でも教えようか・・・?

波瀾万丈な自己報告を語り合ったわけです。私がいたから・・この高校を選んだ・・という言葉には
ショックをうけました。それで良かったんだろうかと・・砂嵐まうプレハブ校舎からの出発でした。
すごいと言えば すごい・・・人生の成功も失敗も・・・なにも繕わず話せるって・・・。

若い自分が そんなにとんがっていたなんて・・妻に言ったら笑ってました。
たぶん二日酔いになってしまったのは、気持ちよく酔えたのとともに、昔の自分と出会ってしまっ
たからでしょう。確かにその総括はし始めてます。でもそれって人類史的課題・・・。

最近考えているのは エピクロス的悟り っていうのがあるのではないか・・という事です。
死は想像上の存在で、生きている間には死はない・・・という事だけは確かです。

自然性と目的性 などの問題をどう解決するのか 考えてみたいと思っています。



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少しづつ

2013/03/22

花粉症の季節に 家には多くの花が・・・奇妙な豪華さです。

2013/03/27

時間がたつのが早いです。こうした心の揺れを このブログに書くのは どうなんでしょうか。

・・・

だいぶ空白を作ってしまいました。理論的な事を書いている「ふり」をしていますが、実は日常の関心が主なんで、環境が変わると関心も様々に揺れ動いてしまいます。

 今書けることは「リアリズム」についてです。と言っても哲学的に考えるというのではなく、もっと日常的な関心からの課題意識です。

  言ってみれば「そっくり描く」という画家の意識の問題です。セザンヌが代表的ですが・・若い時代の「激情」の時代・・感情過多の作品「黒い絵」の時代は、ピサロとの出会いで、冷静な自然観察の時代に転化して行きます。その変化は転向と言っていいほどの変化です。殺人や物語性を重視する傾向を一挙にすてさるわけです。その事に「芸術的意味」が有るのでなく・・ただ単に行き詰まりを打開しようという衝動によるのだろうと思います。
 日本でも高村光太郎が同じように「黒い絵」の時代と言えそうなデカダンな作風を、自然観察に基づく作風に変化させて行きます。こうした変化を芸術上の考え方の変化だとは言えないと思います。この文もそうですが、言葉で考えると・・思想や認識の変化が作風の変化を生み出すと考えがちですが・・・実際は「情動」を放置していては進歩がない・・そういった制作上の事情によっているのだろうと思います。
  
 最近、新聞でピサロを二流画家あつかいする論評を読んで違和感をかんじました。平凡だけど何かある・・それを学ぶべき。そんな書き方でした。ピサロがセザンヌに示したのは、ロマンを捨てて自然観察を徹底しても絵画は可能だ・・という事だったと思います。ピサロに出会ってからのセザンヌはそれ以前の文学趣味をキレイに捨て去ったと言えるでしょう。


 今はまだ・・論ずる事が出来ませんが・・・「美」という事を巡って・・・日常生活(社会生活)に支障が生まれているように思います。整形美人の問題、高校生のやせすぎ問題など「美の規範」があたかも所与の疑いなきもののように言われるようになりました。その先鞭をつけたのは「人は見た目が9割」という新書だったと思います。「美の商品化」いや「顔の商品化」が当然視されて・・・今は「顔より性格」なんって考えは・・ひがみの一種としてかたづけられる情況にありそうです。

芸術論を書いているみたいなふう・・・ですが・・・現実的日常に深刻なものを感じ取っています。

書くのも 躊躇しますが  風邪をひいているわけでもないのに マスクをとらない生徒が現れ始めました。

吉本メモ

ブログが止まっています。・・吉本隆明を追いかけていました。 いままでまったく読んでないのですから。「大思想家」と新聞に書かれ、雑誌に書かれていますが・・・どうも納得出来ない。

 親鸞と光太郎・・・と私の関心と重なるのに・・です。 入り口だけですが追いかけてみた感想は「かなり角度のある切り口」の評論だと言うことです。・・・高村光太郎で言えば父親=光雲への「エディプスコンプレックス」に焦点をあてているように思えます。まるでセザンヌを初期セザンヌの真っ黒な絵の解説みたいで面白かったですが・・考えすぎじゃあと思いました。親鸞にいたっては「吉本隆明の幻想が生んだ親鸞」だと思います。 親鸞の「還相」を大衆の生活意識に密着する事・・・と理解しているようですが、それはあまりに「政治的」な発想で・・・「宗教」としての心理的筋道ではない・・・簡単言えば「弥陀の世界へ往くこと=往相」そのものが弥勒と等しい・・つまり「悟りと等しい」と書く親鸞・・・これは数学の極限みたいなもので無限遠方へ発散していく考え方だと思います。 親鸞も「還相=浄土から帰ってくる」という事は極力書かなかったことだろうと思います。

 ここを素通りして「還相」を自分の思想の骨組みに組み入れて・・きりまくる・・ どうかなという感想です。

メモ

[1968]を書こうとしたのだが・・・書けない・・・吉本氏の本「情況へ」も立ち読みしたが・・繰り出される批判の言葉に辟易してしまった。塩辛みたいな文で拒否反応。 アングラ・ヒッピー・情念・・新奇な風俗が蔓延し・・それを横目で見て足早に歩くサラリーマン・・。そんな時代だった。 社会の構造的・意識的変化が・どんなものであるのかはいろんな所で書かれている。

 「疎外」という言葉が妙に・・実感出来た時代だった。人間疎外なんて評論が教科書にあった。・・・大人社会には出て行きたくない・・・そんな気持ちが強かった。 大学進学率15%・・そしてこれまでだっtら大学に行かなかった層が大学に・・・大学ってなに・・それが正直な気持ちだった。階層上昇・・って何だ・・と思ってた。
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