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智恵子抄から

智恵子抄から

  松庵寺     昭和一六・六

奥州花巻といふひなびた町の
浄土宗の古刹(こさつ)松庵寺で
秋の村雨(むらさめ)ふりしきるあなたの命日に
まことにささやかな法事をしました
花巻の町も戦火をうけて
すつかり焼けた松庵寺は
物置小屋に須弥壇(すみだん)をつくつた
二畳敷のお堂でした
雨がうしろの障子から吹きこみ
和尚(おしよう)さまの衣のすそさへ濡れました
和尚さまは静かな声でしみじみと
型どほりに一枚起請文(きしようもん)をよみました
仏を信じて身をなげ出した昔の人の
おそろしい告白の真実が
今の世でも生きてわたくしをうちました
限りなき信によつてわたくしのために
燃えてしまつたあなたの一生の序列を
この松庵寺の物置御堂(みどう)の仏の前で
又も食ひ入るやうに思ひしらべました

智恵子抄を読むと、光太郎が宗派や宗教儀式にまったくこだわっていないことがわかります。
一枚起請文とありますから、法然さんの浄土宗です。総本山はあの、京都の知恩院です。

唐土(もろこし)我朝(わがちょう)にもろもろの智者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず。又学問をして念のこころを悟りて申す念仏にもあらず。ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細(しさい)候(そうら)わず。ただし三心(さんじん)四修(ししゅ)と申すことの候(そうろ)うは、皆決定(けつじょう)して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり。この外に奥ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候(そうろ)うべし。念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学(がく)すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道(あまにゅうどう)の無智のともがらに同じうして、智者(ちしゃ)のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。証の為に両手印をもってす。浄土宗の安心起行この一紙に至極せり。源空が所存、この外に全く別義(べつぎ)を存ぜず、滅後(めつご)の邪義(じゃぎ)をふせがんがために所存をしるし畢(おわ)んぬ。

建暦二年正月二十三日 大師在御判

 いかかがでしょうか。法事にはこうした・・縁もゆかりもにような場所で様々な思いに襲われることがあります。光太郎は墓参りにも行かなかったようです。戒名にも関心はなかったようです。母が亡くなった時は、「死ねば死にきり 自然は水際だっている」 亡くなった=無くなったと実感したのに、妻が亡くなっても無くならないのを「親子は一世、夫婦は二世」なのだと実感したと随筆にあります。

  2009.08.09
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緑色の太陽

高村光太郎(緑色の太陽)
緑色の太陽 (抜粋)  高村光太郎
 人は案外下らぬところで行き悩むものである。
 いわゆる日本画家は日本画という名にあてられて行き悩んでいる。いわゆる西洋画家は油絵具を背負いこんで行き悩んでいる。・・・・(略)・・・・
 僕は芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めている。従って、芸術家のRSOENLICHKEIT(人格)に無限の権威を認めようとするのである。あらゆる意味において、芸術家を唯一箇の人間として考えたいのである。その PERSOENLICHKEIT を出発点としてその作品をHAETZEN(評価)したいのである。 
 人が「緑色の太陽」を画いても僕はこれを非なりと言わないつもりである。僕にもそう見える事があるかも知れないからである。「緑色の太陽」があるばかりでその絵画の全価値を見ないで過す事はできない。絵画としての優劣は太陽の緑色と紅蓮との差別に関係はないのである。この場合にも、前に言った通り、緑色の太陽としてその作の情調を味いたい
 日本の自然を薄墨色の情調と見るのが、今日の人の定型であるらしい。春草氏の「落葉」がその一面を代表している。黒田清輝氏の如きも、自らは、力めて日本化(?)しようと努力して居らるるらしい。そして、世人はその日本化の未だ醇ならざるをうらんで居る形である。地方色を最も重んずる人に柏亭君が居る。同君のこの趣味は、地方色を重んぜよという理論の側よりも、むしろ氏の性情(テムペラメント)の中に根ざして居る純日本趣味並びに古典的趣味の側から多く要求されているのである。日本人の手になったものは結局日本的である。日本的になるのである。日本的にしようとせずともなるのである。しかたのない腐れ縁なのである。
 GAUGUIN(ゴーガン)は TAHITI(タヒチ)へまで行って非フランス的な色彩を残したが・・・略・・・ 
MONET (モネ)はフランスの地方色を出そうと力めたのではない。自然を写そうとしたのである。勿論、世間からフランスの色彩とは認められなかったのである。フランスの色彩と認められないどころか、自然の色彩とも認められなかったのである。空色の樹の葉を画いたといっては罵られていたのである。しかるに、今日見れば矢張り外の国の人には画けないフランスの香いがする。これ等はすべて、魚に水の香のするようなものである。力めて得たのでなくして、おのずから附帯して来たのである。これを力めて得ようとすると芸術の堕落が芽をふいて来る。
 僕は朱塗の玉垣を美しむと共に、仁丹の広告電燈にも恍惚とする事がある。これは僕の頭の中に製作熱の沸いている時の事である。製作熱の無い時には今の都会の乱雑さが癇に触ってならないのである。僕の心の中には常にこの両様の虫が喰い込んでいる。これと同じように、僕はいわゆる日本趣味を尊ぶと同時に、非日本趣味にも心を奪われること甚だしい。
 僕は混雑した感想を混雑したままに書いてしまった。僕が見ては下らぬ事に考えられて、世間ではかなりに重大視されているいわゆる地方色の事を一言したかったのに過ぎない。 僕は日本の芸術家が、日本を見ずして自然を見、定理にされた地方色を顧ずして更に計算し直した色調を勝手次第に表現せん事を熱望している。
 どんな気儘をしても、僕等が死ねば、跡に日本人でなければ出来ぬ作品しか残りはしないのである。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 日本の「印象派宣言」と言われる「緑色の太陽」を抜粋、要約してみた。光太郎は日本的なるものを特別に重視する傾向に異をを唱えている。 生命・人格に絶対のよりどころを求める立場である。
 
 微妙なのは「日本的なるもの」と「主観的な生命の燃焼」と「印象派の色彩論」と「表現主義的な色彩」と・・・あまりかみ合わない論点が平面上にあって、光太郎みずからも「混乱した感想」と言わざるを得ない文になっている。・・・革新的芸術運動の擁護・・・という文なのだろう。
 「蔥」の所で書いた、ロダンの自然重視だけでは満足できない、時代の子としての光太郎の論説が瑞々しい。

葱(ねぎ)

「 葱 」    高村光太郎

  立川の友達から届いた葱は、
  長さ二尺の白根を横へて
  ぐっすリアトリエに寝こんでゐる。
  三多摩平野をかけめぐる
  風の申し子、冬の精鋭。
  俵を敷いた大胆不敵な葱を見ると、
  造形なんて影がうすいぞ。
  友がくれた一束の葱に
  俺が感謝するのはその抽象無視だ。

 ある時、国語の先生に「私には高校時代から答えのわからない現代文の問題がある。『光太郎の詩の「蔥」という詩の最後「抽象無視」の意味が解らないでいる』と聞きましたが答えはありませんでした。この問題は昔の大学入試問題集に載っていたものです。正解は「自然そのものへの賛歌」なのでしょうが・・なんとも光太郎の芸術論との整合性*がないと思ったものでした。「造化の神」とか・・ギリシャから続く彫刻の大道とか普遍を語る事の多かった光太郎が単純な「自然賛美」をするのには違和感があります。*緑色の太陽・・も読んで見てください。



私は 無理を承知で 「抽象であり、世俗無視」という無理な解釈をしたくなります。
う~ん。やはり「命そのもの」と理解すべきかな?作品になる以前の手つかずさ・・・
ここでの抽象とは抽象彫刻の抽象ではなく、理念とか観念とかいう意味では・・

 *1年間、ブログにあげてほって置きました。上の3行は09年(今年)のものです。すこしわかってきました。素人は文のつかみ方のこつがわかってないのでしょう。誰が書いているのか・・という主体を忘れて言葉の詮索という迷路にはまりこんでいたようです。 
 駒込林町のアトリエに立川から葱が送られて来たのでしょう。・・・「おお」と思うほど大きくて立派な葱で、友人には立派な葱が出来た見てくれそういう自負心もあったのでしょう。光太郎としても・・いい仕事してるじゃない・・これはオレにとって芸術だよ。へたな彫刻なんかかすんじゃうじゃないか。 ・・・これが一番素直な理解でしょう。

  そうすると、この「抽象無視」とは、人間の理性・判断などという人為とかけ離れた
  自然本来の存在性(ある意味の理法の現れ)そのものが心をうつのだ。

         そいうことになりそうです。

道程

高村光太郎(道程)
高村 光太郎(1883年3月13日 - 1956年4月2日)は、日本の彫刻家、評論家、詩人。東京都出身。本名は光太郎と書いて「みつたろう」。本職は彫刻家・画家と言えるが、『智恵子抄』等の詩集が有名になり教科書にも掲載されるようになったため、詩人として認識されることも多い。       (Wikipedia)       -------------------------------------------------------- 
 『道程』  高村光太郎 
 僕の前に道はない 
 僕の後ろに道は出来る 
 ああ、自然よ  父よ
 僕を一人立ちにさせた広大な父よ
 僕から目を離さないで守る事をせよ 
 常に父の気魄を僕に充たせよ 
 この遠い道程のため 
 この遠い道程のため 

中学時代にこの詩が好きだったのですが、高校になってからでしょうか「道はない」と書きながら、遙かに続いている道を見ているような表現に「ちょっと変だな」と思うようになりました。 「父よ」の父は神ですよね。道がないといいながら自分をずっと見続けている神がいるってのはどうだろうか?・・・その時私は受験生でしたから、背の高い草の中をかきわけて進んでいるようで全く先が見えない。美術をやるってのはジャングルの中をさまようようなもので、光太郎の詩のようにずっと先を見通せるものではない。と思っていました。

 『 竹 』   萩原朔太郎
  光る地面に竹が生え、
  竹が生え、
  地下には竹の根が生え、
  根がしだいにほそらみ、
  根の先より纖毛が生え、
  かすかにけぶる纖毛が生え、
  かすかにふるえ。

 高校に入って、書道部の作品が廊下に展示してありました。現代詩文というのでしょうか、鋭い刻みつけるような字体が・・そして・・詩の病的なふるえるような感性に、詩とはこんなものか・・芸術とはこうした鮮やかさが必要なのか・・と思っていたことを思い出します。(この年になって見ても、衝撃的です) つい最近です。この父とはオーギュスト・ロダンの事なのだと思い当たりました。“自然よ 父よ”です。芸術の原点は自然から学ぶこと。他人のかっこいい書き方(=古代の彫刻を初心者に与えるのは間違っている(ロダン))をまねをする。と言い続けた彫刻家でした。

 2008.07.12
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abatorie10

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