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教育AO(その3) 学びの共同体・・について

 「ブログ難しい」・・・そうかも知れません。

 お渡しした「佐藤学」を読まれているとの事・・・「わかるの?・・私でも良くわからないのに」と言ったら無責任ですね。そこで、少しわかりやすく説明をして見ます。

 「佐藤学」さんと言えば、「学びの共同体」の提起者として大変有名です。・・・その教育運動は、日本の小学校から始まって・・中学校へ・・また海外の学校へと広がっている・・・とご本人が言われています。お渡した「カリキュラムの批評」はその実践の理論的基礎となった本です・・・。

 学びの共同体論・・・を簡単に言いますと・・・・学校を「授業中心に組み立てなおす」、教師は「自分の授業を、公開して見てもらう・・・年に何回もそうした機会をもうける」「学内だけでなく・・全国に公開する」そうした「学び」を中心にすえる中で・・・「学びの・・共同体」・・・学ぶことの共同・・・生徒同士が学びあう学校をつくりだす。という事です。

 学校行事で共同体を作る・・・というのは今までもやられています。そうした教育運動は「生活指導・・・集団づくり」と言われて来ました。生徒会や合唱コンクールなどの行事を通して・・・生徒の共同体をつくる。こうした方法は 今では当たり前になっています。
 そうしたやり方で成果をあげたのは、山梨の「巨摩中学校」神奈川の「池上中学校」などです。千葉でも木更津の「岩根中学校」がなかなかの充実を見せていました。
 ・・・このやり方は広く普及しましたので・・・もう常識になっていますが・・・そうですね・・卒業ソング・・「旅立ちの日に」が、常識になってしまったように。www.youtube.com/watch    www.youtube.com/watch

そして、本当は去年の「我がクラス」の事が書けなければなりません。 ・・・たまたま生徒に恵まれた・・・ と言ってしまえばそれだけの事ですが「今まで、経験した事のない感覚のクラス」でした・・・教育的教訓を引き出ししたい・・・のですが・・・非常に難しい ・・・行事(劇)を通して、友人の良さが見え・・・そのことが・・・・・友情につながった・・・ここまでは同感してもらえると思います。 ・・・しかし、これって「学園ドラマ」ではあっても「教育実践」と言えるのだろうか? という疑問が、大いに残ります。
 

 さて、そういう意味で「佐藤学」さんの問題提起は、衝撃的に受け止められました。・・・以前からそうした萌芽がなかったわけではありません。「班学習」「グループ学習」「問題解決学習」などと言う形で行われて来ました。・・・佐藤さんのは、それを「全校規模に拡大し」生徒が「学ぶ主体として注目される」という関係性を学校に作ってしまおう。という事です。
この実践は「浜の郷小学校」などで行われています。
      
     学びの共同体 実践校 ←クリック

  

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教育AOへのヒント

生活指導の研究者、竹内常一教授の初期論文で知ったのが野村芳兵衛でした。私は今、その本をなくしてしまって探しているのですが見つかりません。私の記憶と今、手に入るデーターから書いて見たいと思います。

 野村芳兵衛 のむら-よしべえ
1896-1986大正-昭和時代の教育者。明治29年3月26日生まれ。大正13年東京の池袋児童の村小学校の教師となる。昭和4年「綴方(つづりかた)生活」,10年「生活学校」を刊行して生活教育運動を推進した。野村 芳兵衛(のむら よしべえ)家は浄土真宗で特に親鸞に信仰しており、これは野村の精神形成に大きな影響を残した。(ネットから)

 私は「文化祭は妄想だ」と言い続けていますが・・・「ここに今はないもの」を実現するには、妄想というような心の働きをたよりにするしかありません。・・(この辺は論理でも理論でもなく、経験則です・・文化祭にはテーマやテーマソングが必要・・・と同じにです)

 野村さんの発想には親鸞の「自然法爾」があるようです。自然界の必然、人間界の必然と言ったら少し違うのでしょうが天然自然の恵みが貫くもの・・・つまり、教師が指示命令するのではなく・生徒達・学校・教師という集団がたどり着く(生み出す)ものを大切にするということです。教師もそうした流れの中の一つの駒という発想です。 
 偉い人の命令ではなく、集団や学校という共同体に絶対の信頼を置くという考え方は、当時斬新であっただけでなく今でも珍しい考え方でしょう。

 幸いなことに私たちは、去年の我がクラスという、事例を経験することが出来ました。生徒達の絶妙な相互関係が何を生み出したか・・・言葉では表現出来なくて困っていますが・・珍しい教室を生み出しました。一人一人のある意味のわがままと、みんなへの心遣いさえあればそこは天国になりうることを実証したように思っています。・・・この地点から教師を始めたかった・・・老年になってしまった教師の思いです。

 上のネット資料に「生活綴り方」ということが書いてあります。今でいう「作文教育」ですが、自分たちの生活に根ざして・・という事で単なる「作文の技術」ではありません。昔の子供達の生活には、動物の世話から農作業、小さい妹・弟たちの世話まで多様な労働が組み込まれていました。千葉の海辺で言うと、午前3時から舟に乗って漁業の手伝いをしていた小学生がいましたし、木工所の子供は中学を出る段階で「売り物になる家具」をつくる事が出来ました。・・・・こういう地域にある土台から教育を組み立てて行くという発想です。

 美術でも、毎日の牛の世話からすばらしい「牛の絵」が生まれたりしましたし、そうした事が映画化されたりしました。版画家の池田満寿夫さんもそうした「生活版画」の流れの中から生まれた作家のようです。

 どうでしょう・・・理論というより・・身近な所からのAO・・ヒントになれれば幸いです。



教育関係のAO対策(試案)

 教育関係のAO対策(試案)

 教育の教科書的なことを、あなたのために書こうと思いましたがそうした一般論は退屈極まりないものになりそうです。・・・という訳で・・・表題とは違った文にします。教育の現場というのは大学の研究室と違って「ゆとり教育」とか「総合的学習の時間」とか「基礎・基本」とかその時の流行の言葉に振り回されている場合が多いようです。文部科学省のお役人が思いついた「気まぐれな学校改革」論を真剣?に議論しなければならなくて、現場に倦怠感が漂っている・・・伝達する人も伝達される現場の教員も白けている・・・という場面を最近特に感じるようになりました。本屋に並んでいる書籍のほとんどがそんなもので特に「総合の時間」は今は見るも無惨に無視されています。「ゆとり」だって今は「諸悪の根源」的言われようです。(この辺は高校生でも実感できることです。解の公式を中学で習わなかったあなたたちですから)

 そんな中で教師を目指すあなたがどんな学習をすればいいのか・・・大変難しいです。
私自身は勝田守ーさんの教育論を、基本的骨組みとして教師生活をおくって来ました。

 勝田は能力を次のように分類する。(ネットから抜粋)
 第一に「生産の技術に関する能力」
 第二に、人間の諸関係を統制したり、調整したり、変革したりする能力である。
 第三は科学的能力である、自然と社会についての認識の力である。
 第四に、世界の状況に感応し、これを表現する能力である。通常芸術であるが、勝田は  芸術だけではなく、人間的な力としての表現力を含めている。

「技術」「友情」「知力」「表現」と分類しては勝田さんの趣旨を単純化しすぎるかもしれませんが・・美術の教師としての私はこの第4の視点があるだけでもありがたい事ですし、学校行事の重要性も根拠づけられます。・・・少なくても「テストの点数」だけを学力と考える最近の風潮と比べれば、人間とは何かをふまえたものになっていることはわかると思います。
 たとえば本校の「技術」と「倫理」や、(君にお貸しした)アドラー心理学の「社会への準備」「友情」「愛」より幅広い課題設定で有ることがわかると思います。このブログでもふれてように、そして君も体験したように「演劇」という表現の教育的意味は我々は実感的に感じるものだと思います。

・・何のもくろみも無く書き始めましたが・・・表現の重視・・・作文(綴り方)・・朗読・群読・・演劇など表現の系列にあなたが関心があるなら・・・これだけでも十分なAOの研究課題になるのではないでしょうか? 

(感想がほしいです)


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