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仏教に関するメモです。 仏教用語のいくつかは・・物理でいう所のベクトルのようなものなのでは
という仮説がひらめきました。

一番をそれを感じるのが「業」です。端的には行為なのでしょうが・・業とは行為をなす人間におこる
意志や利害や価値観や具体的人間関係が、人間存在に影響を生み出し、将来を左右する・・・
「業が深い」などというような恐い状態を表現することになり・・・伝統的には輪廻転生につながる
議論になります。・・・つまり行為であるのだが、それが未来を左右する・・方向付けを持つ・・。

煩悩も単純な欲望に終わるのでなく、多方面に因縁を生むのでしょう。
このようにエネルギー量を示すだけでなく、方向性を同時にもつ・・・こういう概念で 仏教は考えるのでしょう。

ですから単純な思索になじまないのでしょう・・・メモです。
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悟りの考察

「悟り」という心理状態は、仏教でなければ得られないものではない。 今ごろになって
19の頃の体験を思い出しているのだが・・・確かに・・・普通ではない生活をしていた。
理屈を捨てて、自分の感覚だけを頼りにしていた。見るものを自分がどう感じるか・・
そんな日々を送っていた。全てを洗い落として、絵を書くことだけ・・・。

俗人だったのでしょう・・それが長く続かなかったのは・・・理屈がこねたくなった・・。

「悟り」が日常的なのは・・裸婦のデッサンです。素人は卑猥な感情が必ず起こると
思うようですが・・卑猥な感情を持てるようならそれだけで天才的作品でしょう。
仕事のために自分を捨てられるのは、船長さんや、客室乗務員や、母親や・・・
生死を超える、卑猥を越える・・・意外と日常的なことだろうと思います。

修証一等と言ったのが道元さん。 修行そのものが、悟りの表現だと・・・
理屈を捨てる・・・今年は「走りながら考えたい」と思っています。





瞑想

このブログが「仏教論」ばかりになってしまいました。もういいかげんやめたら・・・そんな気分です。行き詰まってもいます。確かに哲学的に・・つまり概念=言葉としての整合性や現実の反映性を確かめてみる事も重要で・・理性で仏教的世界観とは何かを探求することも無意味ではないでしょう。長く本を読みあさって・・・理解できない事も多いですが全体の地図みたいなものは見えて来ました。しかし、各種の教えの共通項を明らかにしたり、違う言葉で表現された同じ内容・・・ヨーロッパ哲学の唯名論と実在論の論争みたいなものに立ち入らなければならないとしたら、私はあまりに非力です。たとえば「諸法空相」と「諸法実相」をどのように整合的に解説するかみたいな事になってしまうわけです。

前にも書きましたが「煩悩」と「悟り」みたいな定義不能の相互関係のある言葉・・は理屈で考える限り・・くるくる回りながら落下していくしかないように思います。・・でも今なら何かが書けるかもしれない(やってみます)
煩悩という言葉には、最初から「困った事」という否定的価値判断が見られます。ですから、これは「煩悩をなくす」という事が前提になるわけでしょう。そして定義的には煩悩がなくなった状態が「悟り」です。(そして煩悩=無明も悟りも一種の境地てすから定義は出来ないわけです) こういう仮説をたてて見ます。煩悩の否定が悟りではなくて・・煩悩の否定が悟り=菩提だという考えを否定してみる・・・否定の否定が悟りではないか・・・という仮説をです。これには自分が考えなくても親鸞さんが答えを用意しているように思います。煩悩を否定するのは自力聖門という事です。・・これを否定して諸善を行う他力の門があり・・それさえも否定して絶対的な他力の世界に入っていく(たしか三願転入でしたっけ?)・・・これだと三重の否定になってしまいますが。お釈迦さんの煩悩をなくす苦行を否定して、中道のもとに悟りを開いたというのも否定の否定なのでしょう。
親鸞さんの教えでは煩悩は悟りを生み出していく重要な動因となるわけです。釈迦の場合は「この世は苦」と見た段階でもうほとんどは片づいているのだろうと思うのです。この世は苦である・・というのは苦しみを受けいれるという事です。心理学的には「受容」という事になるでしょう。・・・ここまでは数年前も理解していました。でも「諦観=あきらめ」が自分を制約していたように思います。感情が死んでいる・・と言って良いようです。
 
 そうですね・・この間 私がやってきた事は煩悩をむしろプラトン的発想で捉え直すことでした。今TVてやっていたのですが・・・煩悩と言ってしまえばそれは「廃棄物」と言うのと同じですが・・その廃棄物をエネルギー源として使う方法があるという内容でした。同じ事象を煩悩にしてしまうか欲求にするかは使い手の技量によるのでしょう。また、ただ単純に燃やすのか・・そこから新しい価値を生み出すのか・・それも使い手の技量でしょう。 必要な事は正しい方向へ流し込んでいく勇気だけでしょう。・・・日本の仏教が、どのように認知されてきたか不思議に思ってきました。悟りの境地の水準をです・・・軽々しくはいえませんが、比較的多くが書や絵を通してではないのか・・と思うのです。表現という事です。

 ・・・ ・・・ 論理というより 瞑想みたいな文を書きました。何をかいたかも自明ではありませんが、今日はここまでとします。


隻手

隻手の音

'隻手'というのですね。隻というのは隻眼というあの隻なんですけど、・・・そうしますと、朝、僧堂の朝というのは早いのですけど、三時半くらいに起きるのですね、おきたら途端に隻手と唱えるのです。自分の全存在をその片手の音に投げ込むわけなのです。だから、歩くのも走るのもご飯を食べるのも○○が食べるのではなくて、隻手が食べるのです。隻手が歩いて、隻手がお手洗いに行く、そういうふうに追い込むわけなのです。自分とその隻手とが一つになっていく、三昧というものがさっきありましたね、その三昧が何かのきっかけで爆発するのです、そのときに聞こえるのが片手の音なのです。分かりましたか?分かったような分からないような話で申し訳ないですけれども・・・

  上の文 無断拝借したプロ(雲水さん)の解答です。

個人的に 隻手の音みたいな・・事をずっとやっていたので、応用で解けないかと思うのです。
結局のところ想像力と現実の関係で・・想像力で追い込めば、何だって見えて来ます。
見えたからって現実にどうなるわけではないでしょう。妄想です。聞こえたからどうなんでしょう。たとえば阿弥陀さんが目の前に現れる・・・こんな事そう難しいことだとは思えません。問題は片手の・・相方です。「いる」・・と言っていいのか・・いるというのが浄土でしょう・・・? 

身心脱落 道元さんの禅の境地なのですが 素人でも初歩的な心境にはなれるように思います。

昔に経験した境地・・・無であることの頼もしさ、無であることの楽しさ・・・全ての情念が消滅した透明感 19歳の時の心境が やっと 今頃よみがえって来ました。

素人判断で書いてはいけないかもしれませんが・・・そうした感覚は「無」と言ったって無いということではないのです。空とか無とか・・これは言葉ですが・・・体感したものは・・・無い ではなく 有る という感覚です。 雑音が消えて・・・存在がありありと見えているという体験でした。 無いのは雑音 自我という雑音 



妙2

・・・信心・信仰という点で、身近に素晴らしい信仰者を知りません。遠く・・浄土真宗の方々に・・文化性というか、身の処し方に独自のものを感じました。「人生は苦です・・・」・・人生の全てを・・自分のものとして受け入れる・・凡夫として・・。

 日蓮さんとの縁は・・祖母の影響でしょう。生まれが「一松」だという、うる覚えの記憶しかありません。ネットで調べると茂原のした一宮あたりのようです。もう少し小湊に近いと思っていました。それでも・・千葉南部の風土・・日蓮さんとつながる感覚を祖母から感じた気がします。祖母といっても・・まったく血のつながらない祖母でした。子が出来なくて、夫の兄弟の女の子を養女としてもらって育てたのです。それでも、私にとってはあちゃんでした。・・なさぬ仲の子供が私の実母ということになります。
・・こうした「血のつながらない関係」・・その心理状態がどんなものだったのか・・文学的素養のある人なら・・「他人の血」とか小説の一本も書けるかも知れませんが・・私は無頓着に過ごしてきました。
 南無妙法蓮華経が彼女の生きる支えだったと思います。「あら、おかし」と言うのが日蓮さんの言葉す。自分を迫害しに来た武士に「あらおかし、国の柱を倒そうとするのか」と言ったといいますが・・祖母からも「あらおかし」という言葉を聞いた覚えがあります。
 世俗の法・・つまり、血のの繋がりをこえた・・人と人との繋がり・・そうした超越した、人間関係を支えていたのが「妙法」だったようだ・・・と数日前に気づいたのでした。

 私がふと気づいたのが「平等」という視点でした。そして思い出したのが高村光太郎の詩「蜜柑」でした。

どうして蜜柑(みかん)は知らぬまに蜜柑なのでしょう
どうして蜜柑の実がひっそりとつつましく
中にかわいい部屋を揃えているのでしょう
どうして蜜柑は葡萄(ぶどう)でなく
葡萄は蜜柑でないのでしょう

世界は不思議に満ちた精密機械の仕事場
あなたの足は未見の美を踏まずには歩けません
何にも生きる意味は無い時でさえ
この美はあなたを引きとめるでしょう

たった一度何かを新しく見てください
あなたの心に美がのりうつると
あなたの眼は時間の裏空間の外をも見ます
どんなに切なく辛く悲しい日にも
この美はあなたの味方になります

あなたの内部のボタンをちょっと押して
もう一度その蜜柑をよく見て下さい

こういう感覚を「諸法実相」というのだろう・・と思ったのでした。




妙1

日蓮論・・・です。 ここ30年近く親鸞を尊敬して来た私がほんの一週間前・・日蓮を見直し・・・そして結構 日蓮について書ける というのが不思議です。無量寿経は聞いた記憶がありませんが・・・方便本第二・・と言うとある程度覚えているというのが、檀家制度というものなのでしょう。
 
 日蓮がやっとわかった・・といったら「どこが」「なぜ」と聞かれそうです。これまで「日蓮はわからない・・法華経のよさもわからない」と言い続けてきましたから。いや、今だってわかってはいません。

 「諸法実相」を「この世で、幸せを求める思想」として捉えてみました。そうしたら「あの世主義=浄土論」「幻想論=唯識派」などとは違った現実理解が浮かび上がってきたのです。

あの世主義は、現世がどんなに困難でも「夢」に架ける事が出来ます。心の問題だとしてもです。現世は無理・・でも本当は・・・そういう精神の自在が確保される仕組みだと思うます。「現世は苦」ですから、そうした苦を生み出す自分も自己責任を問われることがない・・のでしょう。

 しかし、日蓮のようにこの世主義を選択すると・・挫折と失敗はつきものです。・・?・・・違う?
 私が言いたいのは・・現世主義特有の観念がクロースアップされる・・「平等」という考え方です。ネットで探してみますと、この「平等」という考え方にこそ・・本音が現れやすいようです。むかしからの坊さんの本音がよく見えます。「仏教の教えは差別のもとの平等だ」と言うのです。今だったら「差別」も問題用語でしょうに・・どちらにしても現実の差別には手をつけたくないらしいです。現実には手をつけない平等が仏教の平等だと書かれると・・筆者の醜い腹の中を探ってみたくなります。


*この世主義・・に転換したら・・・全てのものが不十分で、未完成であることを前提にしなければなりません。娑婆世界が実は浄土と認識しても・・現実が何か変わるものではないからです。日蓮は・・日本が法華経の国になったら、娑婆が浄土になると考えたのでしょうが・・あり得ない事です。しかし・・そうした政治方針?はさておいて・・現実の悲惨を目前にして鎌倉期の日蓮に法華経意外にどうのような対策が考えられたのでしょうか。

現実を現実として受け入れられない浄土教を許せない・・と考えるのは当然でしょう。

*不十分なものを、不十分のまま受け入れる勇気・・・そういう事が娑婆世界の浄土なのだろう・・?・・少しだけ・・賢治・・がわかる・・





空仮中


仏教論・・少しは進んだような気がします。 たまたま見つけた本ですが・・半分くらい納得。

中国天台宗の考え方 空・仮・中 です。 空を無として考えるのではなく有として考える。
少し前の宇宙論にエーテルというものがありましたが・・科学的には否定されました。
同じように真空と言ってもなにもないのではなく、それはニュートラルな状態であって
たとえば電子とは、そこから何かが欠けたか、過剰かの状態なんだ・・・と言うのを
30年くらい前に読んだ事があります。この仮説・・・どうやら死んでなかったようなんです。

そうであるなら 色(物質)は空であり、空は色である・・・なんてことは論理的に当然なことになります。

仮というのは主観的に見た外的世界  と理解するなら イメージ世界の事になります。

そして中とはその二つがアウフヘーベンされた世界という事になると、科学的認識論そのもの

この考え方が正しいなら、中国仏教はずっとまえから有の弁証法の考え方を持っていたことになります。
本当かな・・と思いますが。面白い考え方です。

引用

量子論における真空は、決して「何もない」状態ではない。常に電子と陽電子の仮想粒子としての対生成や対消滅が起きている。

ポール・ディラックは、真空を負エネルギーを持つ電子がぎっしりと詰まった状態(ディラックの海)と考えていたが、後の物理学者により、この概念(空孔理論)は拡張、解釈の見直しが行われている。

現在の場の量子論では、真空とは、その物理系の最低エネルギー状態として定義される。粒子が存在して運動していると、そのエネルギーが余計にあるわけだから、それは最低エネルギー状態でない。よって粒子はひとつもない状態が真空であるが、場の期待値はゼロでない値を持ちうる。それを真空期待値という。たとえば、ヒッグス場がゼロでない値をもっていることが、電子に質量のあることの原因となっている。



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