スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

風に

風子に  このブログは、最初から中学高校生レベルだったんです。光太郎やロダンを取り上げたのは僕がそのころ精神的支柱にしていたからです。

 その頃(大学生)の事を思いだすんですが「初恋」の子に振られて・・・友人に「原爆反対の署名協力して」と言われて・・・政治なんかには全く興味はなかったのですが・・・なぜ振られたのか・・・このままじゃ行き詰まり・・・そんな感じでした。「コクリコ」も個人的な父親への愛情が・・・物語が進展していくうちに・・・自分を大きな社会の流れの中に置いてみて自分がはっきりしてくる。そうした文脈がありましたよね。 社会の中の自分・・・という事を考えさせる時代だったと思います。貧困は身近にありましたし、そのころの日本人は今とはまったく違っていたと思います。大工さん、左官屋さん、魚屋さん・・・外から一目で分かりましたし、男だけでなく女性も奥様と商店のおかみさん、工員のおくさん・・見てわかった時代です。つまり自分の生活を隠すことが出来ない時代でした。

 今 外見で大工さんかカメラマンかなんて見てもわからないですよね。

 そんな中ですから・・・何で振られたのか・・・考えてしまうのです。もし、自分が女の子だとしても 彼氏に「私は」選ばないだろうとね。親が自転車屋をしてましたから・・・「自転車屋の嫁」と言われてしまうんです。彼女は大変キレイな人でしたからそういう選択はあり得なかった。と思うんです。実際 今、彼女は大学教授夫人ですから・・そうした気位の高さ・・・は最初からあったのです。

 考えすぎと言えばそうなんですが、一応、大学入試で結果をだしたし、人間的にもかっての自分ではないし、昔あれだけ仲が良かったのだから・・やっと告白できるかな・・・という所まで持っていったのですが・・・「話しがある」と呼び出されて、僕らの共通の友達の「○○君が好きなんだけど」と言われて終わってしまったんです。 もう歴史になりそうな昔の事でも胸が痛む・・のが不思議です。  古いですよね ・・・・こんな昔の話しをアニメにして 今時の高校生に見せてしまう駿ってどんな人なんだろうと思ってしまいます。 そうそう、ディオゲネスです。美術室にある未完の「アテネの学堂」の真ん中に寝っ転がっているのがディオゲネスです。

ここまで書いてマルクスです(ここからは大学生レベルです)

 生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。

 「人間の社会的存在がその意識を規定する」・・・たかが失恋でマルクスでもないですが、彼女が何故こちらを振り向かないか・・・そのかなりの部分をこうした「社会性」が占めているのだろうと思ったのです。(そんな昔の事を、どうしてダメだったのか・・と考えている自分がいます・・・) 当時、社会的身分が壁になって、恋愛がうまくいかない。そういう映画は少なくなかったと思います。20歳の時に、これまでの友人関係や恋愛関係、善悪の問題を「史的唯物論」で分析して見たのです。


 * 風子からのコメントがあったので、その上に乗って書きたいことが書けました。私の世界観は20歳までの光太郎=ロダンとそれ以後のマルクスと 35歳以降の仏教が統合されないまま併存しています。私は仏教論はそれなりの水準にあると思いますが、そもそも理屈が解ったって意味があるものではなく「心の納得」が重要で・・仏教を書いているのは「親鸞体験」「仏像体験」があるからです。家の宗派は日蓮宗なのですが、高校のころから気持ちが離れています。「汎神論」発想が受け入れられなくなったからです。これは高村光太郎から離れた・・・ことと同じ脈絡のように思います。

 *今から考えると奇妙なのですが、弁証的唯物論に「仏教」を見ていた感じがあります。弁証法の3法則「矛盾」「量質」「否定」ではなく、私が感動したのは「万物流転」と「連関」でした。とくに「全てのものは連関している。極小から極大まで、自然界から人間界まで」・・これは後で知った仏教の「縁起」と同じことでした。また上の史的唯物論も「無我説」に大変近い発想だと思っています。

 *仏教論は縁台将棋でも何とか楽しく出来るのですが、マルクスはそういう訳にはいかない。特に「史的唯物論」という発想は戦後歴史学の主流であったわけですし、網野史学が出てきても、未だに全体の中の部分といった感じがします。上部構造、下部構造という仮説にしても「間違ってた」とは言えない状態にあるのだろうと思います。一向一揆を含む親鸞教団の問題にしても、その経済背景を無視して語れるものではないでしょう。

 *私はマルクス「主義」の問題点は、認識論が「単純反映論」だった事にあるように思います。その事が視野狭窄をうみだしたのだろうと思っています。そして「方法論主義」に陥っている・・・これも仮説というか思いつきレベルなのですが、違ってはいないでしょう。特に「方法論主義」は野蛮な思考方法でしょう。「HOW to」です。これが20世紀に大きな災いを生み出したのではないでしょうか。・・・逆ですね、こうした方法論主義が20世紀の基調をなしていたのでしょう。HOWTO さえあれば 自然の密かなエネルギーさえ取り出せるのですから。


スポンサーサイト

風子に (4)

 「嫉妬」を考えてみたいと思います。 「風」ともそうした内容での話も多かったですけれど・・正面から考えて見たことはありませんでしたね。

 でも、高校生の恋愛のほとんどが「“しっと”が原因でつぶれる」ように思えます。・・・不思議な事ですが、そんなに一般的な問題なのに・・・嫉妬を“克服すべき課題とする”・・・というような会話は聞いたことがありません。「あの人は、縛ってしまいがちだから」と人ごとの批判の事が多いようです。今、私は「嫉妬」とは心理学的にはこう考えるとか・・そういう理論的な事を言う準備はありません。(一番明らかにしたいのは、「嫉妬は愛の属性」なのか・・ということなのですが・・)

 「好きになる・・・素敵に見える・・いつもいっしょにいたい・・自分にだけ笑顔を向けてほしい・・・・・・・・どうせ私なんて」単純化して見るとそういうふうに、気持ちが進展していって「拘束が厳しい・・愛が重い」・・「やってられない」こうなることが多いようです。

 話が遠くなりますが「女性から告白するとうまくいかない」という話があります。一番古いのは「古事記」ですね。女性から声をかけたら良い子が生まれなくて、男から声をかけなおした・・・という話でしたよね。

 これに私がこの間書いてきた「認知欲求」が関わっている・・と思うのです。 恋愛経験の少ない「女の子」のほとんどが「私に注目して、私を好きだと言って」という願望から人を好きになるようです。決して「彼は誠実で、人間的に素晴らしいから、一緒に頑張ってみたい」とはならない・・ですね。「私がこんなに思っているのに、どうして私を見ないの」と思っていますね。 「風」に言わせれば、「男だって同じ」でしょうが。

 私にはじめてつきあった人が出来たのは、大学2年の時でした。背後に視線を感じるのです。じっとこちらを見ている目がありました。・・・「ああ、これは何かある」と恋を知らない私でもわかりました。家に帰ったら電話がありました。「話したい事がある」というのです。枯れ葉が散っている校内で会いました。「つきあって欲しい」と言われました。・・・・
 
はしょって書きます。彼女は「私は人を愛し力づけることが出来る」を実感したかったみたいのです。
 彼女が最初に私に言ったのがそれだったのです。「私がいたら、あなたはもっと明るくなるはず」私は「?????・・・」でした。 「そんな告白ってある? 好きって言ってないじゃないか」と思いました。私の方が本気になるのにそう時間はかからなったと思います。・・・そして、私の方に「彼女を拘束したい」という独占欲が生まれたのです・・・結果的に破綻しました。今、考えると高校生レベルの人間観しか持ってなかったのかも知れません・・・・自分が・・自分の思うようにならない・・のに驚きました。マルクスの言う「自然がいかに人間化されているか」その言葉が身にしみました。<う~ん。準備もないまま、一挙に人生の課題に直面した時期でした・・・恋愛は人生の道場・・・学生紛争の多発したころでした>




・・・・・違うんじゃない。私が悪い、・・・と自分が認識していた物語は違っていたんじゃないか?・・・・最近、そうした昔の物語を別のストーリーで書けるんではないかと思うことが多くなっています。

 たとえば、中2から大学1年まで・・引きずった片思いを大学1年の時に告白しましたが・・それを恋愛(失恋)の話として考えて来ました。・・いや!本当は友情物語ではなかったのか・・そう思い直したのはそれほど昔の事ではありません。 好きであろうがなかろうが・・・その間、音信不通であっても・・彼女が私を忘れていたわけではない。・・子供っぽい「別れ」をして、話が出来なくなっても・・友情が存続していた(互いの生き方を気にしていた)と言うだけでも十分だったのではないか・・だから、私は深追いしなかったのだろう・・あなたは私の青春そのもの(ユーミン)・・・だったから。

 * 今、あの時 彼女に私が近づかず自分の気持ちを伝えなかったなら・・・・幼い「行き違い」のまま友情が回復しなかったなら・・今、どれほど寂しいと思っているだろう。・・・私を突き動かしていたのは、「普通の関係にもどしたい」それだけじゃなかったのか・・と今思ってみるのです。 

* テーマが途中から変わってしまいました。でもこの方が重要な問題だろうと思います。「恋愛」という形をかりた「友情」もありうる。「好きだ、嫌いだ」は一つのエピソードだけど、そんな中での人間の思いやりと、共に意識して生きてきた人生の時間の積み重ねは消えない・・・「いつも心の中に生きている人」を持つのも十分素晴らしいことではないか・・・・・ どうでしょうか? 

風子に (3)

 「風」は男女での「文化祭効果」という事を言いましたね。文化祭では相手がかっこよく見えて恋に落ちる。という意味でしょう。

 共同の仕事をして、勇気や、大胆さや、優しさや、表現の豊かさや、賢さや・・・そうした人間の輝きを発見して、心が動かなかったら青年と言えるでしょうか。そんな事を私は思っていました。一般論としては誰も否定できないでしょう。

 でも・・そんなクラスに居たいか・・・と言われたら、私自身が高校生だった頃を思いだすと耐えられないだろうな思います。多分、昔の私なら・・・すべてを見ないふりをして、美術室に逃げていたでしょう。そうした事に対する自分の準備不足は自覚せさるを得なかったと思います。

 こうした「男子」の戸惑いはどこから来るのでしょうか。トトロの「かん太」みたいな照れ方です。女の子はクスッと笑うのでしょうが。・・・いや・・・女子だって「恋愛」に向かい合えない人が少なくないように思えます。(書いていてもキツイです)
 
 「認知欲求」・・・自分を好きになって欲しい。と言うのが高校生の恋愛の水準だと言うことを前に書きました。女子は白馬の王子様を待っている・・とも書きました。高校生にとっては・・認知してくれれば・・ある意味「誰でもいい」のではないか・・と思うのです。(強烈な反論が来そうですね) 高校生水準では・・・と書きました。昔まだ私が若かった時、生徒に囲まれて「先生は○○さんをもてあそんでいる」と言われた事がありました。・・・晴天の霹靂でした。彼女はそんなそぶりを見せなかったからです。いや? 私が感じ取れなかったのか・・彼女の「好き」が見えなかった・・そんなに鈍いほうではないから「恋する視線」は見える自信はある方でしたから・・驚きました。

 こう言ったら良いかも知れません。「好きって言わせたい」でも、共同歩調というか・・・二人で一緒に歩いていく・・という事は考えていない・・・そんな恋愛感情に私は「認知欲求」と名付けたのです。ですから、あくまで経験から導かれた考え方です。そして、それは必ずしも高校生に限ったことでなく・・・結婚に踏み切った人にもあって・・・そうしたケースは幸せになって居ないようです。

 なぜ「愛されることばかり求めるのか」なぜ「相手が見えないのか」・・・先入観というか、思い込みというか・・・
まずは普通の社会認識、人間認識を育てて欲しいと強く思います。・・・人は人とどこでつながれるのか・・です。

(共に見つめ合う事よりも、同じ方向を見つめている事の方が重要だ*・・と私は考えています・・??いやすごい贅沢な事を言ってるのかもしれません) ・・*イヤ この言葉はたしか亀井勝一郎のパクリです

 



風子に (2)

 今日ブログに君を登場させる話を学校で君にしました。 どうやら気に入ってもらったようです。

 
 さて何から書きましょうか  やはり恋愛論からかな 先日 君が言ったのは高校生の恋愛は「アイデンティティー」に関する欲求だということでした。こんな難しい事を高1の女の子がいうのですから、大人が思うほど子どもじゃないということです。もっとも風が特別ということかもしれませんが・・・。

 ネットで調べますと「自分は誰で、どこにその存在の根を持っているのか」ということを自己同一性(アイデンティティー)というのだそうです。これだけではよくわかりません。わかりやすく言えば「自分らしさの発見」と言ったら良いのでしょうか。確かに、恋愛は自分自身が「自分が思ってるような自分でない」という事を思い知らせます。「相見ての後の思いに比ぶれば 昔はものをおもわざりけり」でしたか・・自分の嫉妬深さや、自己統制の困難さ、相手を思いやるという事の難しさ、依存してしまう感情の切り替え・・・気持ちだけでは乗り切れない様々な課題に直面します。特に男子は・・日本の男子はマザコンに育てられていますから、愛を、相手が自分に何をしてくれるのか・・誠意があるか・・要するに愛される事ばかりを要求する事になりがちです。
 小さな子が好きだとか、女子同士の配慮だとか、そうした対人的な愛憎関係が常に目の前にある女子とはキャリアが違っています。「まったくの子ども」である所から出発する男子は多いと思います。 自分の経験でも本当に男は「待つことができない」と思います。・・こんなに愛しているのに・・なぜ誠意がないのか・・・・・本当に待てない・・だから3ヶ月も待たずにケンカ別れ・・・日常見る風景です。(ため息しかでませんね)

 私はもっと単純に高校生の恋愛は「認知欲求=認めてほしい」が基本的欲求なのだろうと考えています。
自分が愛される人間だと信じたい・・一度でもいいから好きって言って欲しい・・・かなり切実な欲求だろうと思います。 ?もしかしたら・・こういうのを「恋に恋する」と言うのでしょうか。ですから、相手の事を意外に考えてない・・ように思える事があります。女子の場合もこうした愛することより「愛されたい」という欲求が強い・・・そうした子ども同士が恋愛をして長続きがしないのも当然なような気がします。

 今まで異なる生活をしてきた人間同士が出会う・・・これはかなり想像力の必要な作業です。異なっている・・という事が特に恋愛感情がおこったなかでは自覚出来ません。この辺は自覚的に「シミュレーション力」を発揮して自己訓練をする必要があります。・・・相手の立場に立ってものを考えろ・・・リア充などというほど、両思いになったら幸福が保証された・・などというほど簡単なものではありません。「恋愛こそ道場」だと考えています。

 だめ  ・・ ですね。せっかく高校1年生の女子というキャラを登場させたのに  ・・ なに、このアジテーション! 

  むずかしいね。 あくまでも君はキャラとして・・・。

  もっとも「本当か嘘かわからない所がブログの面白さ」と君は言うから・・それほど遠慮はいらないようだが。



風子に (1)

  風子  ご希望通り書いてみます。こう相手を設定して語りかけるスタイル・・ちょっといいですね ・・突然形が変わって、今まで読んでた人がどうしたのだろうと思うかもしれません。ブログが行き詰まってしまったら変えて見たらという君の提案にのって見ます。しかし、これは大転換ですよ。このブログとしては・・小難しい理屈と思いつきばかりでした。クラス向けに書いた事もありましたが誰に向けて書いているのか焦点がしぼれなくて結局全部削除しました。このスタイルもどうなるかはちょっとわかりませんね。

 君には行き詰まって書けない。限界だ・・と言いましたが、いや限界だ・・というのも一つの飛躍でしょう。少し見えて来ました。でも書くことは難しすぎるかもしれませんので、まあ実験ということで・・・

 昨日、最近のこのブログは「愛」がテーマだと言いました。本当は教師になった時に「愛」とか「青春」とかを語れる教師でありたいと思っていたのです。若いですね・・実際若かったのですが、それと芸術方法論みたいなものも語りたいと思っていました。ところが実際教師になって見るとそんな余裕はない・・学校が少しわかりはじめたと思ったら、校内暴力の嵐があったり、様々な学校の課題に追われてそんな事を考える余裕もなく過ごしてしまいました。・・そういう点では、本当に遅い「若い時代の宿題」を今やっているように思います。

 ・・・哲学や宗教ではなくもっと科学的に考えて見たらという高校1年生の君のアイデアにのってみたいと思います。 

「会長」が何を言い出すかわかりませんが、ここ1年間のブログは会長もいた1年次のクラス(1年B組としておきます)を分析する為にいろんな事を考えていたのです。愛や恋・・・はなざかりの君達へ・・だったっけそんなTV番組がありましたが、本校の現在は そのような問題をさけては考えられないと思っています。しかし、そうした事は重要であっても教師の知らない所で展開しているので教師がキャッチできるものではない・・でも高校生活で生徒にとって最重要と(残念ながら)言わざるを得ない状態にあります。こんな事を意識し始めたのは、どんなにクラスや生徒会指導を一生懸命にやっても、こうした男女関係の問題が大きすぎる影響を与える・・二人の恋の行方が、クラスの人間関係を大きく左右してしまう。という事実があったからです。今の子たちにとっては、学校の公の事とそうした(私事)が別だと分離して考えられないからです。

 たぶん、こうした私の発想は何年か後には「教育研究」という場にのせられるようになると思いますが、今はまだ無理でしょう。私も退職間近ですから私の考えていることが日の目をみることもないでしょうが。

 それに、これはあまりに難しい問題です。長い人間の思考の中心的問題でしょう。

 私は思うのですが「性教育」が言われるのに「恋愛教育」がないのは、人間の教育としては逆だろうと思います。どちらが大切かは言うまでもないでしょう。「愛とは何か」です。そういうものを踏まえない教育は、どんなに言い訳をしても能力主義教育です。トルストイを考えて見ればわかります。教育とはこんなものではなかったはずです。

 もう時間も遅くなりました。今日はここまでにします。 では・・・
  




プロフィール

abatorie10

Author:abatorie10
FC2ブログへようこそ!

カテゴリ
月別アーカイブ
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。