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 3月11日 期末考査の最終日でした。 生徒達が帰ってのんびりした時間がすぎていました。午後2時46分免震構造の校舎の6階にいました。今までに経験のない大きな揺れでしたが自分があまり驚いていないのを自分でも不思議に思いながら揺られていました。机につかまっていないと立っていられない状態でした。
 とんでもなく大きな地震だと言うことはわかりました。ゆっくりした大きな揺れから遠い地震であることはわかりましたし、その揺れの大きさと長さが経験した事のないものでした。

 揺れがおさまってから、校舎から退去しました。残っている生徒をあわてて校舎内で探し回っている先生もおられました。具体的な被害はなかったですが余震が続いています。しばらくして副校長を中心としてグランドへ生徒達を集合させることとなりました。運動部の生徒を中心に200名前後の生徒が集まりました。生徒たちも「今まで経験したことのない大きさだった」と言い合っています。副校長は「大きな地震ではあるが心配ないこと、今は交通が遮断されてしばらく待機する必要があること」を生徒に話して聞かせました。地震とともに電話がまったく不通となっていました。事務局は情報収集につとめていましたがTV以外に情報は入ってこないようでした。

それではと、私が駅まで聞きに行くことにしました。学校から出ますと意外に町は平穏でした。バスはいつものように走っていますし、近所の人が道ばたで地震の話をしているほかは変わったことはありませんでした。でも駅につくと電車は動いていませんでした。「まったく復旧の見通しがつきません」・・駅員さんがそう説明しています。「学校関係者なんですが、生徒を待機させています。いつごろ・・・ええ、近くのK高校です」というと「学校ならおこまりでしょうから教えますが、余震が終わってから点検に5時間はかかります。ですから早くても19時半です」
 これだけで生徒を帰せるのは暗くなってからというのがわかります。場合によっては泊まり込みも・・・
学校は短大の体育館を避難場所として準備を始めました。再度午後5時、別の駅で聞いて見ました。「19時? 今でも余震が続いているのだから19時に動き出すことなどあり得ません」との事です。・・とすれば、午後11時には動かない・・ほぼ泊まり込み体制の準備が必要ということになります。学校は宿泊準備に入りました。
 私は、最寄り駅とターミナル駅を回りました。駅で「○○高校の生徒は集まってください」という放送が入っていましたからうちも・・「K高校の生徒で帰宅出来ない生徒は学校に帰ってください」と言う放送を入れてもらいました。・・そこで君達に会ったのですね。学校まで案内することになったのですが・・・「Yが待ってるよ」と言ったら不審そうな顔をしていましたね。いつもなら苗字でしか呼びませんから。また学校の近くや、最寄り駅でも生徒に声をかけて学校に来た生徒も何人かいたようです。(以下略)


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久しぶりに

 本当に久しぶりに、ここに帰って来ました。・・・現実の学校に“忙殺”されて、書き込みをする余裕がなかったのです。
 この不在の時間の間に「空想の長旅」をしていた感があります。生徒と一緒に長い旅をしたような気がしています。
 このブログを書き始めたころは、率直に言ってしまえば19世紀のリアリズムを正しく引き継ぐために・・そういった発想がありました。・・・しかしこの間の経験はイズムではかたづけられないもっと初歩的な問題に直面してしまったと言えます。たとえば欲望とは何か・・です。欲望の考え方一つにしても、プラトンと釈迦とイエスでは違っています。そしてそのとらえ方の違いは「人生観」「世界観」の違いを生み出すほどの基本的なもの・・・そうなって来ると単なるイデオロギーの検討では済まなくなってしまいます。

 
 

演劇へ

異界への往還
長く「教師」として願っていた「クラス演劇」に関わる機会を得ました。文化祭で担任するクラスが「演劇」をやる事を決めたからです。 東京都やその近郊の高校では「クラスで演劇をやる」ことが定番になっています。こうした「非現実な空間」を学校内に生み出す快感は、10代の青年にとってはやりがいがある対象なのだと思います。しかし、そのためには精神的「飛躍」が必要です。一時的にせよ「変身」して見せるからです。 初心者で何も知らない者にも、そうした分野をかじってみる機会があるのが、教育職の妙味でしょう。最初から30人を超える役者さんがいる・・日常ではあり得ない事です。 この間様々な文献をあたって(そう言ったって高校生と同じレベルでしょ)みて結局は「宮澤賢治」かな? という所に来ました。生徒が受け入れるかどうかわからない所が課題ですが・・・・・「宮澤賢治」を好きか? という問いに「好き」と言える人はどれだけいるでしょうか。代表作「銀河鉄道の夜」を初めとして全般に作品が暗い、暗い中の輝きそうした作品が多いようです。「ただの童話でしょう」と思う人、「難解で解らない」と思う人様々だろうと思います。昔、NHKで新劇の女優さんが「鹿踊り」を朗読しているのを聞きましたが、異様な感覚・・まるで自分が動物になって景色を見ているかのような感覚に驚きました。この事に関して誰かが「自分自身も動物になる感覚を保有している・・・アミニズム的感覚のある人」という書き方をしていました。 そう言われて見れば、彼の法華経信仰(現世の世界が浄土であるという考え方)の理由もわかる気がします。賢治が父親の「浄土真宗」と激しく対立したのも、こうした彼自身の「感性」の問題が底にあったのではないかと思っています。 「修羅を生きる」という発想は、親鸞さんのものであって、日蓮さんのものではないように思っていました。修羅意識=悪人意識・・生き物を食わずには生きられない(殺生せざるを得ない)・・こうした主題の大変多い賢治の童話から法華経信仰の根拠を跡づけることは私には出来ていません。 たとえば「春と修羅」の詩も、刹那滅思想(説一切有部・・インド古代仏教)に大変近いと思います。今、銀河鉄道を読み直していますが、「そんなら何が川の水にあたるかと云いますと、それは真空という光をある速さで伝えるもので・・・」とエーテル説に近い考え方をしているのがわかります。 2009.06.12 

 2010/01/05 上の文は、09年の6月に書いたものです。その後変転して結局「ハイスクール・ミュージカル」というアメリカのミュージカルをやることになりました。上記の生と死を扱うといったものではなく「青春賛歌」といったもので、どうなるものかと思いましたが・・やりたいものをやるのが一番で、大変良い経験をさせてもらいました。本当に良い生徒に恵まれたものだと思います。付け加えて言えば、私の芸術観が一変する出来事でもありました。一つは台本、とか脚本とかいうものを理解していなかった。もっと言うと芝居がわかっていなかった・・ということでした。小説のように主題は語られるものという理解が違っていた。という事です。たとえば二人は愛し合っていた。と文では書ける。しかし、演技でそれを演じられないと、ストーリーそのものが成り立たない。そういう事でした。
 それ以上の認識の変化は、芸術とは「生の賛歌」以外ではあり得ない・・・ということです。それは芝居というより、生の輝き・・そのかけがえなさ・・にふれたという事です。教壇の上からでは決して見えない生徒像でした。
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