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恋愛と世界観5

確定稿

 私が何を書きたいのか・・・が少しづつわかって来ました。「初恋」「トニオ・クレーゲル」「世界観」「ロマン主義」・・・(この文を書いていた時は、18世紀からのロマン主義の潮流というのは、現在も底流として生きていて、そこに焦点をあてるべきだと考えていました。しかし、今の段階で私がその思いつきを発展させることが出来ません。・・こう言ったら良いかもしれません。現在の若い人の人間関係が一種の「関係主義」になっていて、形を変えたサロンではないか。と思ったからです。・・ただスタンダールなどを読み返してみると関係主義的人間関係は「虚栄恋愛」的要素が大変強く、私が大事にしたいと思っている「価値感情」とは違っているように思えます。この視点は、現在の高校生の現状を言い当てているようで、・・とりあえず欲しい・・レベルの子も多そうです) 
 
「感情の統制」というのは、抑圧することによって克服出来るのではなく・・・正しく、その感情の求める道を探してやること以外にないようです。(感情の求める道を探してやる・・とはストリー化する。物語とするということです。20歳の私が「失恋」のあと必死で「生い立ちの記」を書く気になったのは、自分自身をそうした物語という形の中に位置づけたいと思ったからです。今回、その復元を試みているわけですが、わかった事はトーマスマンとは、大きく見れば「問題」を共有しながらも、自出の違いが現れを異なったものにしている・・という事でした。)

 今、仏教に関して書店で並んでいる本で、一番多いのがスリランカの上座部仏教長老 ええと・・・名前はスマナサーラさんの本です。日本の常識では 上座部仏教=小乗仏教 と低く見られていたのですが、いや釈迦仏教にもっとも近い流派として見直されている傾向にあります。 それには日本の仏教が死んでしまっている。活性をうしなっているという現状があるからでしょう。

 ただ一つ、私が教えに「救われた」と感じるのが親鸞さんの真宗です。おぼれるものはわらをもつかむ。そのわらです。こういう言い方を親鸞さんなら許してくれる気がします。「わらでもいいんだ・・それで君が救われるなら」たぶん、親鸞さんも阿弥陀仏をわらだと思っていた節があります。だいたい「南無阿弥陀仏」と唱える必要もないでしょう。大切なのは「自分が救われる人間だ」という自覚だけの事ですから。

 「信じる」ことより「良いこと」をする。事の方がよっぽど簡単なことのように思います。・・こういう事です。自分が「陰」で「鬱」で、自己喪失状態の時は、真宗の教えは力づけてくれます。「人生は苦」と感じられる時はです。ところが「苦」に対して「欲」が前面に出ているとき「陽」「躁」と言ってよい状態の時は、これが利かないように感じます。自分の欲望・・これを統制するのは至難の業です。なぜなら「悪いこと」とは思ってないからです。「あなたは弥陀の本願によって守られています」と言っても、自分の統制につながらない・・・少なくとも私はその回路が発見できないでいます。

 スマナサーラさんは、最近の本でこういいます。愛は怒りだと。・・なるほどです。愛はしばしば占有欲・独占欲を伴います。「自分に足らない物を求める気持」これが、現れ方で愛にも怒りにもなる。(要約しすぎかも知れませんが)そして続けてこういいます。「欲望を抑圧しようとすると、欲望をあおることになる」と、「欲望を抑圧しようとするのも欲望でしかないかです」と・・・う~ん。まいった。です。

 スマナサーラさんは「大切なのは知恵です」といいます。別の「和尚」というよくわからい人の本に気づかされたことがありました。「自らを灯明とせよ」釈迦の遺言だそうです。「私が死んでも嘆き悲しむな。これからは自らを灯明として生きていけ」

 つまり、誰かに頼るな自分の判断で良いんだ。と言うことです。「自分の欲望を抑えつける」のではなく、欲望の行き先を考えてやる。「欲望を位置づけ直す」「人生の中に配置し直す」または「好きだった彼女の、人生を自分に取り込む」・・・つまり「世界観と恋愛」ということです。私自身ずっと昔のことなので、忘れていたのですが・・・そんな事を20歳の私は猛烈にやっていました。(上に書いた通りです)

 この文を、「ギリシャと仏教」というカテゴリーに分類しています。初期仏教の「神々との対話」を読んでいてごく初歩的な事を忘れていたことに気がつきました。「永遠なものなどない」「絶対なものなどない」というのが仏教の基本的立場だった。という事です。ギリシャの・・プラトン的恋愛観は「永遠なもの」への飛翔という傾向を持っています。そしてたぶん「恋愛という概念には、こうした永遠への願望が内在している」ように思えます。去年から「高校生の純情」に共感して考えを進めてきましたが・・・全てのものは滅びる。死なない者はいない・・・これが真実であるのは冷静に考えれば否定できない事実です。 プラトンの翼はどこに向かって飛び立つのでしょうか。イディアの世界? エロースの神の世界に向かってでしょうか? 

 もしかしたら愛や恋を、こうした精神世界に求めるのは「男性の特徴」かも知れないと思います。芥川の藪の中ではありませんが「愛や恋」は取り出して見せることが出来ない抽象的なものです。片思いか、相思相愛かと言う事も本来は確定できるものでもないでしょう。・・・こんな事を書くのは、こどもへの愛情のありかたです。女性は言葉のない生物「赤ちゃん」と肉体的にコミュニケーションします。話せないころが一番可愛いと言います。男は、話せない生き物に愛情を抱くのは大変難しい・・・。だから、通説と違って「愛してる」って言って欲しいのは、女性ではなくて男性の方ではないか。そんなことをふと思うのです。












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