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 100人いたら100通りの学校像があるのでしょう。考え始めると茫洋と
 した気持ちになります。友人や先生の言葉や出来事が浮かんで来て・・・
 「物狂おしい」気持ちにもなります。
 
  西日が直接はいってくる教室で、演劇を目指しているという先輩がなにやら
 演技の身振りをしています。素足で机の上で少し前までねていました。西日は
 オレンジ色の幾何学模様を壁に映し出しています。芥川龍之介のような厳しい表情で
 仕事をしている先輩もいます。「君は将来どうするつもり」下級生の世話係をかって
 でた女性の先輩が声をかけます。「・・・いや、まだ」と私は答えます。

 ・・かつての母校の特徴は何かと考え・・「(大正)教養主義」ではなかったか
 と思いあたりました。白樺派(武者小路・有島・光太郎・劉生)・・もっとも
 この傾向は東高でも同じだったようで「三太郎の日記」を読んだか?と訪ねられた
 ことがありました。大学では「ロマンロラン」が基本教養のような時代で
 したが・・結局、学園「紛争」がそれらを過去のものにして行ったようです。


 4年ほど前の文です。コクリコ坂の世界です。・・でも「だからどうした」ですね。

旗を揚げる少女が必要でしょうし・・風間君も必要ですね。原作マンガは、時代が
80年代で学園紛争がギャグみたいな時代に書かれています。映画はそれを
15年ほど前にさかのぼらせています。1968年を素通りして・・・。でも・・・
映画の学生集会の看板の文字は、決してコクリコの時代のものではなかった・・。
つまり、駿さんはいわゆる「70年」が嫌いなのです。わけがわからない・・と。

芸大で言いますと、現代芸術・・・絵を書かない油絵科に・・なりつつあり、学校が
それを受け入れられない、アカデミズム批判が噴出しかかってた。
先輩・後輩関係も、変わりつつあった。つまり、最大の受験競争のなかで育って
来た学生は・・・人間的柔らかさが足らなかった。そしてそれを自覚もしていた。
にも関わらず、日本には農村が圧倒的に多く・・市民なんて感覚はなかった。

コクリコの話しは、今で言ったら超エリート学校の話なんです。横浜の
中高一貫校・・・実在してたかどうかも知りませんが。 (続く?)


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