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セザンヌ  パリとプロバンス(1) 

乃木坂の新美術館のセザンヌ展を見ました。 一番感動したのは家から出てきたセザンヌを撮った大きな写真でした。 その写真は言われている偏屈な画家というより、恥じらいながらカメラに収まってる老人といったもので・・・この老人を馬鹿にして子供達が石を投げたのかと思うと感じるものがありました。同時に会場にアトリエが復元され あの壺やあのビンやあの石膏像と対面できた事・・驚きでした。

 こんどの展覧会はこれまで日本で行われたセザンヌ展のなかで最良のものだったように思います。正直、期待どころかやってるということすら知らないで、行ったついでに見たのです。

 一言で言うと 「セザンヌは音楽家のように絵を書いている」というのが感想です。 作曲家であり指揮者であり演奏家である・・・それを一人でやりきってる・・・。(なんの文献の裏付けもない感想ですが・・描ききれない音楽が画面の背景でなっているような気がしました)

 横浜展の時は 日本のセザンヌの影響を受けた画家達と 併置されていて見ている私も「リアリズム」に関心が行っていました。セザンヌ様式・・をどう消化吸収したのか・・を考えていました。 私としてはマチスとの関係で「水浴図」を見直したのが成果でしたが・・・理屈の上では・・・セザンヌの様式を折衷的に取り入れている日本の画家達・・・つまり日本ではアカデミズムになってしまったセザンヌばかりが見えていました。今回の展覧会は、そうしたモネもセザンヌも一緒くたに入ってきた日本の事情ではなく・・ヨーロッパアカデミズムを消化しようとしている初期セザンヌと、ヨーロッパ文化の中で作品を育てて行った晩期セザンヌまでの歩みが感じられる展覧会だったように思います。

感情的言葉は書きたくはないのですが・・・「セザンヌ」に心が震えました。孤独だったろうなと思います。・・・今見ても「古くない」・・・前衛的という意味でです・・・

形(空間)と色・・・それが画家に与える感覚(サンサンション)だけを頼りに一生を費やす・・・そんな事が可能なんだろうか・・・
今 俗情となれ合って生きるしかない状況なればこそ ・・・ 言葉がありません。 熱心なカソリックだったと言います。

セザンヌの絵は 彼なりの信仰告白 だったような気がしてなりません。

          3月28日から6月11日まで 国立新美術館


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