スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 私が仏教に自己流で取り組みだしてから、30年余になります。最初に「わかった」のは親鸞でした。論理でではなく腑に落ちたと言ったわかり方です。不登校になった少女に『「君を励ましている誰かがいる」と思えないかい』・・今、君の周りにそんな人がいないとしても・・・そういう事を言ったことは前に書きました。「必ず人を救うという弥陀の本願」の事です。そんな事があるのか、無いのかではなく・・人間は「自分が幸福になる」という希望なく生きられない。ということ・・そう、パンドラの箱をあけたら多くの不幸がとびだしたけど、最後に希望が残ったというのと同じことです。そのことを金剛の信心と親鸞さんは言ったのでしょう。「義なきを義とせよ」とか「横超」とか「仮の浄土」という事にも感銘しましたが今は書きません。・・・しかし、親鸞はわかったけれど他はわからない・・が続いて来ました。

 最近、仏教は「自己コントロールの法」だと考えるべきと思うようになり、その視点から見たら様々な宗派のあり方を横断的に見られるのではないかと思うようになりました。

 人間は感情の動物です。感情という檻の中から出られない動物・・のようにも思えます。・・と言う論を前提にしますが・・仏教の解説書などを読むと、人間は感情によって理性さえもコントロールされる。と言うような書き方が見られます。 「?いや、もっと人間は賢いのでは」と私には思えます。経験からフィードバックされた知恵もありますし、他人の立場に立ってみるという思考実験から生まれた知恵もあるでしょう。大枠で仏教的な感情の支配というのは認めますが、こうした経験知を軽視してはいけない。何の修行もしなくても立派な人物がいるのは確かですから。

 自戒を持って言うのですが、「教師は独善的で困る。独善性を棄てないと教師にはなれない」と思います。各教科に関して言えば専門家として認めて良いでしょう。でも人間性や道徳に関して・・・プロだと言える人などいないのに・・まあ、良く批評できる・・と思います。(話がずれました)

 仏教は「感情を理性で抑える」と言うコントロールではなく、「感情そのものを変える」という事を目指しているのだろうと思います。  <中断します・・難しいです>






スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

abatorie10

Author:abatorie10
FC2ブログへようこそ!

カテゴリ
月別アーカイブ
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。