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感情の分析

小林秀雄がこんな事を書いていた。「音には調和(ハーモニー)があるが、色にはない」・・・これは私には今では自明のことだと思うのだが、説明はかなり難しい・・・と書いてみて思っている。

 小林が何を根拠に色には「調和がない」と言ったのか・・・直感だとしたらかなりのものだ・・・。今の科学の進展が明らかにしたものを先取りしているのだろう。 音は 物理的振動を そのまま振動として人は認識できる。だから音が混ざり合っていても、その中から小さな音を選別することが出来る。 ところが色は、元々は電磁波の振動・・スペクトルであって、人はどうやらそのスペクトルをそのまま感じていないで、色覚細胞で感知しているに過ぎないようである。今では多分解剖学的にも実証されているらしい。 なかなか、長く仮説の域を出なかったようである。
 だから・・多分・・分光分布では、緑と思えない光が・・緑に見えるという現象もあこるのだろう。

 ここで芸術論をやるためにこんな話題をはじめたわけではない。もっと身近な人間の感情は、その原因を明らかに分別できるのか? ・・・「いや、できない」・・・という事を書きたいのである。 

* 今、私が書こうとしている事に「引用文献」はない。こんな事を書いた本も知らない。自分の感情を観察しての結果を書こうとしているだけなのだ・・・・・ようするに「感情は様々な諸原因から成り立っているのだが、人はその感情の構成要素を認識する事はできない」と言うことなのだ。簡単な例で言えば「納豆」が嫌いな人がいる。その原因がなんなのか、どういう理由で納豆が嫌いなのか・・・その嫌いな理由を探してもわからない・・・という事なのだ。 そうした分割不能性の科学的例証を「色と光」の場合で例示することが出来るのだと思う。芸大の色彩学の講義で分光分布のグラフを読んでも、これが緑だとはわからない・・でも人の目は緑と感じる・・という現象があると聞いた。身近で言えば黄色と黒を混合すると緑に見えるという事がある。こうしたぶれは・・・人間の目がスペクトルを見ているのではなく、特定の波長を感ずる色覚細胞の合成で色彩感覚を生み出しているという事実を例証するものだろうし・・・また解剖学的の色覚細胞の実在が証明されたと聞いている。 つまり、我々は自分の感覚器官によって、外部世界を認識しているのすぎない・・という事である。

 *感情は そのように分割できないのだと思う。何が好ましい。誰が好きか。そした感情=感覚的価値判断を構成要素に分ける事はできない。一般に言われるように、遊園地のドキドキ感を恋と錯覚する事は良くあることだ。しかし全くそうした感情を構成している要素を区分けしてみることが出来ないわけではない。

 しかい、それはアレルギーの原因物質を明らかにするのと同じに明らかにする方法もある。・・いや、その逆の手法で可能になると私は思う。つまり、諸条件を無くして見ると、原因が見えてくるのだと思う。

・・・・自分でも面白い発見だと思う。しかし、難点は・・・こんな発見に何の意味があるのかという事である。 人は、思ったように生き、失敗を通じて何かを学ぶ・・・こんな感情の観察など少しも楽しくはないからだ。

 *仏教とは、こうした感情観察が生んだ理論ではないか・・・と私は思う。「出家する」というのは、現実の感情を断念するという事だろう。だから・・・逆に自分の感情の成り立ちが見えてくるのだろうと思う。(途中)




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