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感情の分析3

ウイキペディアから引用>

 アントニオ・ダマシオらは、スタンレー・シャクターらの感情の二要因説を発展させ、感情を体験・認識することは、刺激に対して発生した身体反応を説明するために皮質が作るストーリーであると主張している。例えば、被験者にアドレナリンを注射した後で不快な環境に置いたところ、アドレナリンの副作用を知らされていない被験者は、アドレナリンにより起こった動悸や冷や汗などの反応を環境のせいにし不快がったが、副作用を知らせておいた被験者はアドレナリンのせいだと判断し、不快さも少なかったという。つまり皮質が、身体の反応を、前後の文脈と照らし合わせて解釈し感情というストーリーを作ったということになる。

(注)シャクターらは、感情2要因説を1960年代に唱えたが、その後2要因となるような直接の証拠が得られなかったため、彼は自身の仮説を修正して、生理的基盤(=情動)に基づいてその後感情が形成される、という感情の2段階説を唱えた(1982年)。これを発展させたのが、Lazarusたちで、感情を社会性も含めたより複雑なものとして定義した(罪悪感、やきもち、嫉妬、愛、なども含めた)。


 このように心理学では「刺激と反応」という形か「生理的=身体的反応と認識」という理解の仕方が主流のようである。私はこういう考えも一種の先入観によるもので、刺激と反応という系列で考えないと科学的でないという思いこみのように思える。たとえば、私が書いたように「美的感情」をどう分析するか・・とこれらの心理学者に問うたら・・・答えられないのだろうと思う。

ただ・・「刺激に対して発生した身体反応を説明するために皮質が作るストーリー」と言うのは体感的に納得できる。たとえば劇や恋愛や情動的体験において感情の復元(つまり思い出す)はストーリーによっているように思うからである。感情は物語化によって記憶され、復元されるもののようである。しかし、記憶ではないその場で生起する感情がストーリーによるはずもないのであって、刺激、価値観、関係性など感情を生み出す原因は複合しているのだろうし・・・それだけではなく、一つに思える感情がいくつかの感情の複合した場合もあるのではないか・・いやその方が一般的なのだろう・・・というのが私の体感なのだ。

 
 
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