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演劇へ

異界への往還
長く「教師」として願っていた「クラス演劇」に関わる機会を得ました。文化祭で担任するクラスが「演劇」をやる事を決めたからです。 東京都やその近郊の高校では「クラスで演劇をやる」ことが定番になっています。こうした「非現実な空間」を学校内に生み出す快感は、10代の青年にとってはやりがいがある対象なのだと思います。しかし、そのためには精神的「飛躍」が必要です。一時的にせよ「変身」して見せるからです。 初心者で何も知らない者にも、そうした分野をかじってみる機会があるのが、教育職の妙味でしょう。最初から30人を超える役者さんがいる・・日常ではあり得ない事です。 この間様々な文献をあたって(そう言ったって高校生と同じレベルでしょ)みて結局は「宮澤賢治」かな? という所に来ました。生徒が受け入れるかどうかわからない所が課題ですが・・・・・「宮澤賢治」を好きか? という問いに「好き」と言える人はどれだけいるでしょうか。代表作「銀河鉄道の夜」を初めとして全般に作品が暗い、暗い中の輝きそうした作品が多いようです。「ただの童話でしょう」と思う人、「難解で解らない」と思う人様々だろうと思います。昔、NHKで新劇の女優さんが「鹿踊り」を朗読しているのを聞きましたが、異様な感覚・・まるで自分が動物になって景色を見ているかのような感覚に驚きました。この事に関して誰かが「自分自身も動物になる感覚を保有している・・・アミニズム的感覚のある人」という書き方をしていました。 そう言われて見れば、彼の法華経信仰(現世の世界が浄土であるという考え方)の理由もわかる気がします。賢治が父親の「浄土真宗」と激しく対立したのも、こうした彼自身の「感性」の問題が底にあったのではないかと思っています。 「修羅を生きる」という発想は、親鸞さんのものであって、日蓮さんのものではないように思っていました。修羅意識=悪人意識・・生き物を食わずには生きられない(殺生せざるを得ない)・・こうした主題の大変多い賢治の童話から法華経信仰の根拠を跡づけることは私には出来ていません。 たとえば「春と修羅」の詩も、刹那滅思想(説一切有部・・インド古代仏教)に大変近いと思います。今、銀河鉄道を読み直していますが、「そんなら何が川の水にあたるかと云いますと、それは真空という光をある速さで伝えるもので・・・」とエーテル説に近い考え方をしているのがわかります。 2009.06.12 

 2010/01/05 上の文は、09年の6月に書いたものです。その後変転して結局「ハイスクール・ミュージカル」というアメリカのミュージカルをやることになりました。上記の生と死を扱うといったものではなく「青春賛歌」といったもので、どうなるものかと思いましたが・・やりたいものをやるのが一番で、大変良い経験をさせてもらいました。本当に良い生徒に恵まれたものだと思います。付け加えて言えば、私の芸術観が一変する出来事でもありました。一つは台本、とか脚本とかいうものを理解していなかった。もっと言うと芝居がわかっていなかった・・ということでした。小説のように主題は語られるものという理解が違っていた。という事です。たとえば二人は愛し合っていた。と文では書ける。しかし、演技でそれを演じられないと、ストーリーそのものが成り立たない。そういう事でした。
 それ以上の認識の変化は、芸術とは「生の賛歌」以外ではあり得ない・・・ということです。それは芝居というより、生の輝き・・そのかけがえなさ・・にふれたという事です。教壇の上からでは決して見えない生徒像でした。
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