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煩悩即菩提

 煩悩論で行き詰まっていました。 感情を分離することができる・・・アドラーの言うような「共同体感覚」と「個人的執着」の感情は、異質ではあるが両面が(現象として)特定の感情に存在する。と自分の感情に・・・両面の情動が存在すると体験したのでした。

 こうした事実を重視すると、「自力救済」が可能という事になります。<釈迦の道>でしょう。自分の感情の主となる・・道。揺らがぬ・・・不動心を得ようとする道です。煩悩から我執を取り除くことはそんなに難しいことではないでしょう。マルクスが言っているように前近代は、人間関係がそのまま利害に、命に直結する時代ですから・・・人間は情動的存在だったのだろうと思います。資本主義社会は拝金主義だと言われますが、愛情を全てとする必要はなく・・・金銭で買えるサービス・・・という形で提供出来るようになりました。愛の地獄も薄らいで来たのでしょう。・・・・この延長線上に「優秀な遺伝子を買う」という世界が広がっているのでしょう。

 煩悩とは感情の無明=理知的でない側面を示す言葉なのでしょう。・・・釈迦は、そうした煩悩に出家という形で「統制」を加えようとしたのでしょう。(統制という事が可能かという論ではありません)・・・・・でも「出家」とは「出家を商売」にしなければ生きていけない生き方です。「メンタルトレーニングの講師」のような営業がどうしても必要になる・・・そうなってしまうと、出家したときの動機「煩悩の苦悩」がどこかに置き去りにされてないか・・・という事です。

 煩悩即菩提  とは煩悩から 我執をなくし 無我となり 清浄な気持ちになることではなく・・・・煩悩の大きな意味での存在意味を知ることではないのか・・・・煩悩だと思っていたのが 何も恥ずかしくない「人間的必然なのだ」と知ること・・・・それが親鸞の言う「弥陀の本願」の意味ではないか・・・だから「義なきを 義とせよ」こざかしく「はからうな」ということで・・・煩悩の炎に焼かれるべき時は焼かれるのがよろしい・・・・ということだろう。   と・・・思った。






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