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シッダルタ(ヘッセ)


 自分の感想から・・・最初に読んだ時は、実在の世尊釈迦を登場させ、それに対して大乗仏教の代表としてシッダルタを登場させたように思っていました。

。・・今回はあれ?これはヘッセ自身の悟りを書いた小説なのだ。そして釈迦仏教ではないヘッセなりの哲学があるという事を感じて・・・小説からその論理を取り出す必要があると思ったのです。

 小説では、シッタダルタは釈迦と出会うが、釈迦の弟子にならない決断をします。これはヘッセが小説家として、誰かの弟子になることなどあり得ない。小説は学んで書けるものではない。そういう事実を踏まえているのだろうと思います。ブールデルがロダンに「先生とは違ったものを彫刻に感じるのですが」と言って「君の思うようにやってみなさい」という会話と全く同じ会話が釈迦とシッダルタの間に交わされます。結果的にシッダルタは釈迦の禁欲の道から離れて・・・愛欲の道に入ります。しかし、愛欲の道でも・・・冷たい・・今で言うエリート意識がじゃまをして・・能吏的働きしか出来ません。それでも時間と共に身を持ち崩し・・愛欲におぼれ・・自分が何者でもない・・と思えたとき、それは絶望であったのでしょう。
 ヘッセは「全てを捨てる」という事を 教団内部の地位や権威にすがりがちな「信徒」はなく、愛欲の人生の中で全てをすてる世俗の人間の方がそれに相応しいことを、釈迦教団の弟子になった友人を登場させる事によって示します。「彼は下へ下へとくだって行くのだ。・・彼は今裸の、空手の、無知のものとして立っているのだ」

 ・・・ヘッセはまだ45歳でこれを書きましたが・・・老人になった私には身につまされるようによくわかります。若いうちの少々の「能力」など・・老人になってしまえば無いも同然です。白いほおと赤い唇・・そうした若さの輝きに比べれば、じじいはじじいに過ぎません。 僕はこの間老人は「時間旅行者」だと書いて来た。ヘッセは言う「過去も未来もみんな永遠の現在だ」と。高校生のおととい話したSさんも「昔の事?忘れるはずなどない」と言いました。仏教は「諸行無常=いつか忘れる」というのだろうが・・・過去は現在の自分としていつまでも生きていると僕にも思える。 

この小説の結論は「もの」です。手に触れることのできるもの、それは自然であったり人であったりします。それへの執着の遍歴こそが愛であり・・全てのものにつながっていく道なのだ。という事なのだと思います。 そして真我=アートマンとして自分を定位しているように思います。
 空の立場ではなく 有の立場(存在論)からの 悟り を描いた小説に思います。

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