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妙1

日蓮論・・・です。 ここ30年近く親鸞を尊敬して来た私がほんの一週間前・・日蓮を見直し・・・そして結構 日蓮について書ける というのが不思議です。無量寿経は聞いた記憶がありませんが・・・方便本第二・・と言うとある程度覚えているというのが、檀家制度というものなのでしょう。
 
 日蓮がやっとわかった・・といったら「どこが」「なぜ」と聞かれそうです。これまで「日蓮はわからない・・法華経のよさもわからない」と言い続けてきましたから。いや、今だってわかってはいません。

 「諸法実相」を「この世で、幸せを求める思想」として捉えてみました。そうしたら「あの世主義=浄土論」「幻想論=唯識派」などとは違った現実理解が浮かび上がってきたのです。

あの世主義は、現世がどんなに困難でも「夢」に架ける事が出来ます。心の問題だとしてもです。現世は無理・・でも本当は・・・そういう精神の自在が確保される仕組みだと思うます。「現世は苦」ですから、そうした苦を生み出す自分も自己責任を問われることがない・・のでしょう。

 しかし、日蓮のようにこの世主義を選択すると・・挫折と失敗はつきものです。・・?・・・違う?
 私が言いたいのは・・現世主義特有の観念がクロースアップされる・・「平等」という考え方です。ネットで探してみますと、この「平等」という考え方にこそ・・本音が現れやすいようです。むかしからの坊さんの本音がよく見えます。「仏教の教えは差別のもとの平等だ」と言うのです。今だったら「差別」も問題用語でしょうに・・どちらにしても現実の差別には手をつけたくないらしいです。現実には手をつけない平等が仏教の平等だと書かれると・・筆者の醜い腹の中を探ってみたくなります。


*この世主義・・に転換したら・・・全てのものが不十分で、未完成であることを前提にしなければなりません。娑婆世界が実は浄土と認識しても・・現実が何か変わるものではないからです。日蓮は・・日本が法華経の国になったら、娑婆が浄土になると考えたのでしょうが・・あり得ない事です。しかし・・そうした政治方針?はさておいて・・現実の悲惨を目前にして鎌倉期の日蓮に法華経意外にどうのような対策が考えられたのでしょうか。

現実を現実として受け入れられない浄土教を許せない・・と考えるのは当然でしょう。

*不十分なものを、不十分のまま受け入れる勇気・・・そういう事が娑婆世界の浄土なのだろう・・?・・少しだけ・・賢治・・がわかる・・





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