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隻手

隻手の音

'隻手'というのですね。隻というのは隻眼というあの隻なんですけど、・・・そうしますと、朝、僧堂の朝というのは早いのですけど、三時半くらいに起きるのですね、おきたら途端に隻手と唱えるのです。自分の全存在をその片手の音に投げ込むわけなのです。だから、歩くのも走るのもご飯を食べるのも○○が食べるのではなくて、隻手が食べるのです。隻手が歩いて、隻手がお手洗いに行く、そういうふうに追い込むわけなのです。自分とその隻手とが一つになっていく、三昧というものがさっきありましたね、その三昧が何かのきっかけで爆発するのです、そのときに聞こえるのが片手の音なのです。分かりましたか?分かったような分からないような話で申し訳ないですけれども・・・

  上の文 無断拝借したプロ(雲水さん)の解答です。

個人的に 隻手の音みたいな・・事をずっとやっていたので、応用で解けないかと思うのです。
結局のところ想像力と現実の関係で・・想像力で追い込めば、何だって見えて来ます。
見えたからって現実にどうなるわけではないでしょう。妄想です。聞こえたからどうなんでしょう。たとえば阿弥陀さんが目の前に現れる・・・こんな事そう難しいことだとは思えません。問題は片手の・・相方です。「いる」・・と言っていいのか・・いるというのが浄土でしょう・・・? 

身心脱落 道元さんの禅の境地なのですが 素人でも初歩的な心境にはなれるように思います。

昔に経験した境地・・・無であることの頼もしさ、無であることの楽しさ・・・全ての情念が消滅した透明感 19歳の時の心境が やっと 今頃よみがえって来ました。

素人判断で書いてはいけないかもしれませんが・・・そうした感覚は「無」と言ったって無いということではないのです。空とか無とか・・これは言葉ですが・・・体感したものは・・・無い ではなく 有る という感覚です。 雑音が消えて・・・存在がありありと見えているという体験でした。 無いのは雑音 自我という雑音 



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