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葱(ねぎ)

「 葱 」    高村光太郎

  立川の友達から届いた葱は、
  長さ二尺の白根を横へて
  ぐっすリアトリエに寝こんでゐる。
  三多摩平野をかけめぐる
  風の申し子、冬の精鋭。
  俵を敷いた大胆不敵な葱を見ると、
  造形なんて影がうすいぞ。
  友がくれた一束の葱に
  俺が感謝するのはその抽象無視だ。

 ある時、国語の先生に「私には高校時代から答えのわからない現代文の問題がある。『光太郎の詩の「蔥」という詩の最後「抽象無視」の意味が解らないでいる』と聞きましたが答えはありませんでした。この問題は昔の大学入試問題集に載っていたものです。正解は「自然そのものへの賛歌」なのでしょうが・・なんとも光太郎の芸術論との整合性*がないと思ったものでした。「造化の神」とか・・ギリシャから続く彫刻の大道とか普遍を語る事の多かった光太郎が単純な「自然賛美」をするのには違和感があります。*緑色の太陽・・も読んで見てください。



私は 無理を承知で 「抽象であり、世俗無視」という無理な解釈をしたくなります。
う~ん。やはり「命そのもの」と理解すべきかな?作品になる以前の手つかずさ・・・
ここでの抽象とは抽象彫刻の抽象ではなく、理念とか観念とかいう意味では・・

 *1年間、ブログにあげてほって置きました。上の3行は09年(今年)のものです。すこしわかってきました。素人は文のつかみ方のこつがわかってないのでしょう。誰が書いているのか・・という主体を忘れて言葉の詮索という迷路にはまりこんでいたようです。 
 駒込林町のアトリエに立川から葱が送られて来たのでしょう。・・・「おお」と思うほど大きくて立派な葱で、友人には立派な葱が出来た見てくれそういう自負心もあったのでしょう。光太郎としても・・いい仕事してるじゃない・・これはオレにとって芸術だよ。へたな彫刻なんかかすんじゃうじゃないか。 ・・・これが一番素直な理解でしょう。

  そうすると、この「抽象無視」とは、人間の理性・判断などという人為とかけ離れた
  自然本来の存在性(ある意味の理法の現れ)そのものが心をうつのだ。

         そいうことになりそうです。
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