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メモ

 仏教と脳科学を今追いかけています。・・・その感想ですが「唯物論」の方向へ仏教の論考も進んでいるように感じています。現代人に説得的にものを言うと、結局、科学的にしか言えない。しかも脳科学とはどちらかと言うと「機械的唯物論」の系譜に属するのではないでしょうか。批判しているのではありません。「機械的に考える」という事が重要な方法である研究段階もあるからでしょう。・・コンピューターと同じように、電気信号と回路のつながりが思考を生む・OSに似た働きも個別プログラムに似た働きも脳にはあり・・・もうしかしたら、自立的思考を機械に持たせる事が出来るかもしれない。これが幻想なのか、未来に実現することなのか私には判断が出来ません。精神作用が物質の上に成り立ってるるとすると「観念論」が生き残る余地はどこかにあるのでしょうか。
 仏教でも「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言った精神論を説く傾向は見かけることが少なくなっています。「熱いものは熱い」ですから。

>人間がエネルギー体としての存在を本質とするということは、肉体の存在に依存するものではないということです。すなわち、肉体の死は存在の終末ではなく、存在状態の変化にすぎません。

 神秘主義サイトからの引用です。カントから・・シュタイナーまで引用していながら、一番重要な論点が上のようになります。
エネルギーは物質そのものです。たしかにエネルギー保存の法則は科学ですが・・肉体の死の先があるという証明にはならないと思います。昔、霊の存在を証明するのに、死んだら軽くなる・・だから霊はある。というのがありましたが、それじゃあ霊とは質量のある物質ということになってしまいます。上の証明にもそうした理不尽さを感じています。

 * 表象的世界・イメージの世界・昆虫的関係性の世界・・・そうした知性とは言えない「心的世界」があるといのが、この間のこのブログの趣旨ですが、その事が霊の世界を証明する事にはならないと私は考えています。親鸞さんの阿弥陀仏にしても「実在」しているものでも「心に存在する」ものでもなく、一つの仮設のイメージとして有効だと考えているのです。(心の機能として意味がある)・・・仏教にはこうした理解を許す余裕があるようです。

 * ですからキリスト教のように、神が実在する・・と言い切ってしまうと理論的整合性をどうつけるか・・疑問があります。
ただ、文化・思想としてのキリスト教は素晴らしいと思いますが・・・。

 私にとって、一番抵抗があるのが「原罪」という考え方です。仏教の場合「この世は苦だ」と受けいれた時は、もう救いに近づいているのに・・・「原罪」を受け入れても、それは神に服従することでしかないように思われます。そういう形での自己放擲にどのような意味があるのか・・と考えてしまいます。「悔い改めなさい・・神の国は近づいてる」と言われても、なんでよそ者にそこまで言われなければならないのか・・・と思うのです。

 雑ぱくな、考えとも思えない・・思考ですから メモとしました。 このメモからなにかが始まるかは見えていません。


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