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贈る言葉?

大きな物語を・・信じられない時代になったという事が私にこのブログを書かせている動機です。(略)。

 ただ、「目標・・実践・・総括」こうした、実践的理性が・・現実に近づいて行くという事は信じていたように思います。その事は今でも違っていないと思うのですが、残念ながら自分自身も含めて、社会はあまり「学ばない」ようです。たぶん人間の歴史はそうした愚かしさを常に繰り返しているように感じます。人間は「唯我独尊」でこの世に誕生して・・その自己中が間違っていたと知ってって死んでいく・・という歴史を繰り返して生きて行ってるに過ぎないのではないかそんな気がします。

 人間はその数百万年の長い狩猟生活の中で「共同性」という倫理観を培ったのでしょう。それは「人類の記憶」のように底流として流れていてそれが「コンミューン」という考え方として存在し、また利害打算ではない社会関係も局所的には存在し続けてるいるが故に出口を求めるように思います。

 一方で「共同」より「個人」という考え方も・・・たぶん共同体の中で徐々に育ち・・・農耕に伴う蓄積の中で・・それなりの「生産性」を生み出してきたのでしょう。

 ・・・あまりの平凡な文章で・・・自分でもあきれています。こんな大上段に振りかぶっても得るところはないでしょうに・・・

それでも書いてるのは「社会」にも「個人」にもそうした矛盾する側面が・・・常につきまとっているように思うからです。
それは、高校生を見る場合も、仏教を見る場合も同じように生まれる「矛盾」であるように思います。長く仏教を考えてきましたが・・・「世のため人のため」として始まったはずの「大乗仏教」が現実には、職業集団となりはて、「自分一人の救済」を求めている「小乗仏教」の方に「共同性」が生きている・・こうしたパラドックスが社会の「素粒子=原子」のように実在しているように思うからです。

 そうですね・・・理論を述べているのではないです。 最後の卒業生を送り出すにあたって「共同」と「個人」のモメントが、時間的に波のように・・否定と肯定を繰り返しているように思えるからです。教育理論が意図するように・・人間は積み上げ型で育ってなんかいかない。共同性の実感と感激の中に個人主義が育ち、個人主義の徹底の中に共同性が育っている、そうした視点を持ちえなかった自分を少し責めてもいます。

 個人主義の中に愛があり、共同性の中に怠惰がある・・なんて事は少なくないでしょう。

弱点をもちながらも「楽しい三年間を過ごしました」・・贈る言葉なんか書くつもりなかったのに・・・へんな文章になってしまったようです。ともかくいろんな場面で「叱かりながら愛している」という奇妙な感情を経験させてもらったと思います。


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