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だいぶ空白を作ってしまいました。理論的な事を書いている「ふり」をしていますが、実は日常の関心が主なんで、環境が変わると関心も様々に揺れ動いてしまいます。

 今書けることは「リアリズム」についてです。と言っても哲学的に考えるというのではなく、もっと日常的な関心からの課題意識です。

  言ってみれば「そっくり描く」という画家の意識の問題です。セザンヌが代表的ですが・・若い時代の「激情」の時代・・感情過多の作品「黒い絵」の時代は、ピサロとの出会いで、冷静な自然観察の時代に転化して行きます。その変化は転向と言っていいほどの変化です。殺人や物語性を重視する傾向を一挙にすてさるわけです。その事に「芸術的意味」が有るのでなく・・ただ単に行き詰まりを打開しようという衝動によるのだろうと思います。
 日本でも高村光太郎が同じように「黒い絵」の時代と言えそうなデカダンな作風を、自然観察に基づく作風に変化させて行きます。こうした変化を芸術上の考え方の変化だとは言えないと思います。この文もそうですが、言葉で考えると・・思想や認識の変化が作風の変化を生み出すと考えがちですが・・・実際は「情動」を放置していては進歩がない・・そういった制作上の事情によっているのだろうと思います。
  
 最近、新聞でピサロを二流画家あつかいする論評を読んで違和感をかんじました。平凡だけど何かある・・それを学ぶべき。そんな書き方でした。ピサロがセザンヌに示したのは、ロマンを捨てて自然観察を徹底しても絵画は可能だ・・という事だったと思います。ピサロに出会ってからのセザンヌはそれ以前の文学趣味をキレイに捨て去ったと言えるでしょう。


 今はまだ・・論ずる事が出来ませんが・・・「美」という事を巡って・・・日常生活(社会生活)に支障が生まれているように思います。整形美人の問題、高校生のやせすぎ問題など「美の規範」があたかも所与の疑いなきもののように言われるようになりました。その先鞭をつけたのは「人は見た目が9割」という新書だったと思います。「美の商品化」いや「顔の商品化」が当然視されて・・・今は「顔より性格」なんって考えは・・ひがみの一種としてかたづけられる情況にありそうです。

芸術論を書いているみたいなふう・・・ですが・・・現実的日常に深刻なものを感じ取っています。

書くのも 躊躇しますが  風邪をひいているわけでもないのに マスクをとらない生徒が現れ始めました。

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