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トマスマン覚え書き

「トーマス・マンとドイツの時代」という本を古本屋で見つけました。今までで一番マンを理解させてくれた本でした。小塩節さんは、かなり有名な人らしいのですが、私は全く知りませんでした。簡潔で要を得ている文で・・言葉の裏にあるドイツ文化という広がりを暗示させる文章でした。
 私自身は「トニオ・クレーゲル」をもってマンの代表作と見なし、短編は読んだが、長編はことごとく挫折という・・だらしなさです。

 「トニオ・クレーゲル」(トーニオ・クレーガー)は題材そのものは、片思いの初恋物語で、男の子の友達への独占欲と華やかな女子に対する、「オタク的な自分」の届かぬ思いを描いたものに過ぎません。・・・わざと今風のライトノベル風に紹介して見たのですが、この小説を難しいと思う人が多いようです。私の場合、マンの場合と逆に、最初に女の子への片思いの初恋を経験し、その後同じ道に進む男子へのライバル意識と独占欲という経験をしました。「芸術」というもの様々な面・・・ほとんど自分の問題としてこの小説を読んで来ています。

 自分にとっては、切実なのに・・・人に勧められない・・・声高に良い小説だから読むべきだとは言えない・・・人にこんな小説だと説明出来ない。そうした小説です。

 このブログを書くにあたって、ネットで感想を探して見ました。良く勉強して、かなりこの小説が気に入っている様子のサイトがありました。しかし、私から見ると「つかむべき所をはずしているな」という印象です。
 ・・・こうした理解をはずしてしまう気持ちは私にもわかります。「違和感」があるのです。小説は「俺も同じだ」と共感しているのに、「芸術家と俗人」というフレームで語られるので困ってしまう。「こんなに共感してる、私は入れてくれないの?」そうした芸術という特殊世界を描いているように見えるからです。

 ただ今は「オタク」という便利な言葉「二次元愛」なる言葉・・が日本アキバ発で発信されていますから・・・この「トニオ・・」をオタク小説の走りとして読むことも出来るでしょうし、昔の「高等オタク・・としての文学」と今の「オタク文学」を比較するなんてアプローチもありうるでしょう。 

 まだオタクという言葉もないうちに私はこの小説の伝道は「自らの秘密をばらすことになる」そうした直感がありました。・・昔の言葉で言えば「文弱」という事になります。
(女、こどもの読む小説なんかに関心を持つなんて・・男は体を鍛え、数字に強く、お国のために兵隊さんになりなさい。立身出世を目指せ・・です)

 小塩さんの本で、マンは「プロイセン流の教育に苦しんだ」とありました。なるほど・・です。プロイセンと明治日本がつながり・・・建前はともかく、質実剛健・・体力と指導力・・つまり男らしさがすべて・・という日本の教育につながってくるのです。今ではオタクは市民権を得たように見えますが、いつ揺り戻しがくるかわかったものではありません。

 最近(2010年7月26日)亡くなった、京都大学の著名な数学者「森毅」さんが数学者もオタクなんだ・・とオタクの適応範囲を広げ・・オタクでなければ創造的仕事は出来ない・・と今では逆転した常識も生まれていますが・・・。

 日本では商業資本とその階層の形成が遅れ・・芸術家が対立し表現したのは「農村的家制度」や「不在地主」で、明治・大正文学はそうしたものでしょう。
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