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道程

高村光太郎(道程)
高村 光太郎(1883年3月13日 - 1956年4月2日)は、日本の彫刻家、評論家、詩人。東京都出身。本名は光太郎と書いて「みつたろう」。本職は彫刻家・画家と言えるが、『智恵子抄』等の詩集が有名になり教科書にも掲載されるようになったため、詩人として認識されることも多い。       (Wikipedia)       -------------------------------------------------------- 
 『道程』  高村光太郎 
 僕の前に道はない 
 僕の後ろに道は出来る 
 ああ、自然よ  父よ
 僕を一人立ちにさせた広大な父よ
 僕から目を離さないで守る事をせよ 
 常に父の気魄を僕に充たせよ 
 この遠い道程のため 
 この遠い道程のため 

中学時代にこの詩が好きだったのですが、高校になってからでしょうか「道はない」と書きながら、遙かに続いている道を見ているような表現に「ちょっと変だな」と思うようになりました。 「父よ」の父は神ですよね。道がないといいながら自分をずっと見続けている神がいるってのはどうだろうか?・・・その時私は受験生でしたから、背の高い草の中をかきわけて進んでいるようで全く先が見えない。美術をやるってのはジャングルの中をさまようようなもので、光太郎の詩のようにずっと先を見通せるものではない。と思っていました。

 『 竹 』   萩原朔太郎
  光る地面に竹が生え、
  竹が生え、
  地下には竹の根が生え、
  根がしだいにほそらみ、
  根の先より纖毛が生え、
  かすかにけぶる纖毛が生え、
  かすかにふるえ。

 高校に入って、書道部の作品が廊下に展示してありました。現代詩文というのでしょうか、鋭い刻みつけるような字体が・・そして・・詩の病的なふるえるような感性に、詩とはこんなものか・・芸術とはこうした鮮やかさが必要なのか・・と思っていたことを思い出します。(この年になって見ても、衝撃的です) つい最近です。この父とはオーギュスト・ロダンの事なのだと思い当たりました。“自然よ 父よ”です。芸術の原点は自然から学ぶこと。他人のかっこいい書き方(=古代の彫刻を初心者に与えるのは間違っている(ロダン))をまねをする。と言い続けた彫刻家でした。

 2008.07.12
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