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セザンヌ主義2

セザンヌ主義展・・は「西欧」と「日本」のセザンヌに影響を受けた画家の展示がなされていましたが、ヨーロッパの画家がセザンヌの造形的側面を学んで、前衛的作風を形成して行ったのに比較して、日本の画家のアプローチはセザンヌを規範として受け取っています。存在・造形の統合された画家として・・です。そういう意味で長くセザンヌは日本のアカデミズムの基盤をなしていたと思います。

 リアリズムという面で、油絵の出発時点で 高橋由一や原田直次郎の仕事はあったのですが、ヨーロッパ絵画の存在への飽くなき追求は日本の画家にとっていつまでも及ばない規範だったのだろうと思います。光太郎も油絵のねちっこさを克服出来ないでいましたし、智恵子が挫折したのもそうした面が大きかったと思います。

* 原田直次郎と聞いてすぐ「靴屋の親父」を思い出しました。論が違ってしまいますが、原田の「龍に乗る悲母観音」を近代美術館で見て、浅井忠の日本の歴史画とともに明治の画家の苦しみをあらためて知りました。
* ヨーロッパのリアリズムの積み重ねがない日本では、真迫の表現にどう対応するか大きな課題だったのでしょう。
* 日本の画家で靉光 あいみつ)1907~ 1946が油絵らしい油を描いた・・と言われます。
  2008.12.16
 岸田劉生にしても前田寛二にしても須田国太郎にしても、ヨーロッパの画家と違ってリアリズムの問題としてセザンヌをつかまえています。そのようなリアリズム派の画家は早めに印象派的な「色彩対照」の色遣いを捨てて油の体質(マチェール)を意識した表現方法に切り替えて、成功しているように思います。

 > 色彩(=補色対比に見られる目のメカニズム)と形態 < の矛盾は印象派の画家を常に悩ませ、セザンヌをして「モネはすばらしい、しかしそれは目だけだ・・?」と言わせた矛盾でした。スーラの新印象派はそれを突き詰めたら対象のリアリティがすっかり無くなるという結果になってしまい、画風を変えてそれにかけたピサロを悩ませました。
   

 彫刻におけるロダン、絵画におけるセザンヌ、日本では尊重されるという意味では同じ位置にいましたが・・実質はかなり違ったものだったように思います。ロダンはロマン主義的な写実主義を基盤に抽象性のあるバルザック像に至ったのですが、セザンヌは画業の最初から、かなりの矛盾をはらんだ作風でその特異性が新しい世界を暗示したと言えるだろうと思います。

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